2016年7月23日土曜日

「ネギをうえた人」

 きのう(7月22日)紹介した、日韓の文学の架け橋・金素雲の話の続き――。金素雲は戦後の昭和28(1953)年、『ネギをうえた人――朝鮮民話選』を岩波少年文庫から出した。タイトルに引かれて『朝鮮詩集』などとともに、いわき総合図書館から借りて読んだ。こちらは「子どものフロア」にあった。
 この20年ほど、夏井川渓谷の隠居で地ネギの「三春ネギ」を栽培している。その過程で知ったのだが、ネギの原産地は中国西部~中央アジアあたりで、西へ向かって玉ネギになり、東へ向かって長ネギになった。

 日本では、中国のネギ文化をそのまま水平移動したように、北から長ネギ(白ネギ)・長ネギと葉ネギの中間・葉ネギ(青ネギ)の3文化圏に分けられる(大きくは東日本=長ネギ文化圏、西日本=葉ネギ文化圏)。三春ネギは、白ネギ系だが葉も食べられるので中間種ではないだろうか。

 5月にネギ坊主から種を採った。その後、枯れた花茎をばらして、同じ根から伸びた子ネギを仮植えした=写真。秋にはこれも食べられる。そんなときに知った朝鮮半島のネギの話だ。中国~朝鮮半島~日本という渡来ルートのひとつがわかるかもしれない。しかし、ネギ渡来の話にはちがいないが、おどろおどろしい物語だった。
 
 ――人間が人間を食べていた時代があった。それは、人間が牛に見えたからだという。「ある人」がそれで自分の兄弟を食べてしまった。ああ、いやだいやだ、なんてあさましいのだろう。こんな国に暮らすのはつくづくいやになった。

 で、「ある人」は人間が人間に見えるまともな国を探して旅を続けた。じいさんになって、ようやく牛は牛、人間は人間と区別がつく国にたどり着いた。その国の古老が言うには、その国も以前は人間を牛と間違えて食べていた。それが、ネギを食べるようになったら、間違いがなくなった。
 
「ある人」はネギの種をもらって国に帰り、やわらかい土に種をまいた。そのあと、旧知の人間に会いに行ったら、牛と間違われて食べられてしまった。ネギはやがて芽を出し、それを食べた人たちはちゃんと牛と人間を区別できるようになった――。

「ネギをうえた人は、だれからも礼をいわれません。そのうえ、みんなに食べられてしまいました。けれども、その人の真心は、いつまでも生きていて、大ぜいの人をしあわせにしました」というのがオチである。

 この民話は報われない。報われないけれども、人のために、社会のためになにごとかをなす――。彼が民話選のタイトルを、「ネギをうえた人」にしたのはと、研究者は推測する(ネットにアップされた論考)。

「金素雲は、憎み傷つけ合う二つの民族の間にネギを植えた人である。いや、少なくとも植えようとした人であった。相手文化の尊重というネギを――。けれども、そのネギは人々によってまだ食べられていない」(田淵五十生)

なるほど。「日韓の文学の架け橋」も、本国ではあまり評価されない。日本でもよく知られてはいない。「また裂き」状態の自分の人生を「ネギをうえた人」に投影したのだったか。

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