いわき市国際交流協会の会報「ワールド・アイ」第262号が届いた。5月20~22日にインド人のホームステイを引き受けた。彼らの感想文が日本語訳で載っていた。
もうひとつ興味深いものがあった。金裕美さんという人が、韓国語と日本語で、向こうの国の有名な抒情詩「チンダルレの花」について解説している。
実は「ワールド・アイ」最新号の編集が始まる前だと思うが、事務局から電話がかかってきた。「韓国のツツジと夏井川渓谷の岩ツツジは同じですか」。最初は「同じだ」と答えたものの、あとで自分のブログで確かめると違っていた。違うことをすぐ事務局に伝えた。
朝鮮半島にあるのは「チンダルレ」(和名「カラムラサキツツジ」)。春先、岩と松の山肌をピンクに染める。北朝鮮拉致被害者で翻訳家蓮池薫さんの手記『半島へふたたび』のなかの「ツツジの花を思う人びと」にその花が出てくる。
「朝鮮半島や中国東北部では見られるが、日本には自生しない。春になると、ほかのどの花よりも早く、赤みがかったピンク色の花を山肌に咲かせる。だから北では『春を最初に知らせる花』と呼ばれ、『民族に解放の春をもたらした革命軍、抗日遊撃隊の象徴』としても、詩歌に盛り込まれている」
やせ地や岩の割れ目のような過酷な環境のなかで育ち、春先、ほかのどの木よりも早く花を咲かせる、という点では、夏井川渓谷のアカヤシオ(岩ツツジ)と共通する。だから、最初は「同じだ」となってしまった。(『半島へふたたび』を読んだのは6年前、記憶もあいまいになっていた)
蓮池さんの本には、「チンダルレの花」の作者、詩人金素月(キム・ソウォル=1902~34年)は若くして死んだ、南のみならず北でも「学校の教科書に載せ、生徒たちに詠ませている」とあった。
で、今回、国際交流協会から電話があったのを機に、ネットで詩を検索した。金素雲(1907~81年)の日本語訳があった。「どうで別れの/日が来たら/なんにもいはずと 送りましょ。/寧辺薬山(ねいへんやくざん)/岩つゝじ/摘んで お道に敷きませう。//(以下略)」。なんだか「大正ロマン」風、あるいは「童謡」にも通じるような歌謡曲調ではないか。訳がこなれすぎている。
そのへんを確かめたくて、図書館から金素雲訳編『朝鮮詩集』など3冊=写真=を借りてきて読んだ。おやおや、おもしろそうだぞ――。
金素雲は少年時代(大正中期)、日本へ渡って苦学した。やがて、詩人白鳥省吾主宰の雑誌「地上楽園」に朝鮮農民歌謡を連載して認められ、北原白秋らの後援で本人訳の『朝鮮詩集』などを刊行した。
当初、この『朝鮮詩集」に歌謡曲調の「岩つゝじ」が収められていた。朴容澤『金素雲「朝鮮詩集」の世界』(中公新書)によると、この訳詩は失敗作だった。それで、のちの『朝鮮詩集』からは削除された。借りてきた『朝鮮詩集』にもむろん載っていない。
金素月は夭折詩人、若くして人生を閉じた。それに比べたら、金素雲は日韓の文学に橋を架けたさきがけ的存在だ。がぜん、こちらの金さんに興味が移って、金素雲関係本3冊を読んでいるときに会報が届いた。
会報に載った訳詩――。「私を見るのも疎(うと)ましくて/去って行くときには/何にも言わずにきれいに送って差し上げましょう//ヨンピョン(寧邊)にヤッサン(薬山)/チンダルレの花/一抱え摘んで去って行く道に撒いて差し上げましょう//去って行く一歩一歩/撒かれたその花を/そっと踏みしめて行ってください//私を見るのも疎ましくて/去って行くときには/死んでも涙流しません」
金素雲の歌謡曲調に比べたら、現代感覚にあふれた訳詩になっている。紹介者の金裕美さんは、「情」と「恨(ハン)」がよく伝わってくる第3~4連が好きだという。ポイントは「死んでも涙流しません」だろう。「艶歌」であって「怨歌」。マヤという韓国の女性ロック歌手がこの詩に曲をつけて歌っているのをネットで聴いた。オッサンの胸にも響いた。
0 件のコメント:
コメントを投稿