2016年8月13日土曜日

サハリン④「焼け野原」と「松毛虫」

 宮沢賢治の樺太(サハリン)詩篇で、「ん、これは?」というものがふたつあった。「(こゝいらの樺の木は/焼け野原から生えたので/みんな大乗風の考をもつてゐる)」と「松毛虫に食はれて枯れたその大きな山に/桃いろな日光もそそぎ」の「焼け野原」と「松毛虫」だ。いずれも<樺太鉄道>の詩のなかに出てくる。
 大正13(1924)年8月、賢治より1年遅れて樺太を訪ねたオーストリア人の植物学者がいる。東北帝国大学植物学教室主任教授、ハンス・モーリッシュ。『植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記』(瀬野文教訳=草思社)を読んで、「焼け野原」と「松毛虫」が詩に登場するワケがわかった。

「私がサハリンを訪ねたちょうどそのころ、当地では茶色い蛾の幼虫が針葉樹を荒廃させ、大きな損害を与えていた。幼虫が大量に発生して木の葉を食い荒らすのである。地面に積もった幼虫の量は手のひらほどの高さにもなった」

 モーリッシュは続ける。「蛾の幼虫がもたらした損害よりもっとすごいのが山火事による被害で、これが残念なことにひんぱんに起こっている」。推測できる原因はたばこのポイ捨て、木こりのたき火の不始末、そしてこれがもっとも深刻なのだが、「思慮分別のない入植者たちが、手っとり早く耕作地や牧草地を手に入れるために、森に火を放って焼き払ってしまうのではないだろうか」

 樺太の針葉樹はエゾマツとアカトド(トドマツ)が中心だ。ほかに、道路沿いの林ではシラカバ=写真=が目立った。「焼け野原」のあとと同じように、道路を開くと白樺が先行的に生えてくるのだろうか。

 繰り返す。ざっと90年前、樺太では松くい虫が連続発生をしていた。人災ともいえる山火事も頻発していた――こうした事象を背景のひとつにして賢治の樺太詩篇が生まれた。

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