ロシアのサハリン、ウラジオストク、ナホトカに共通していたのは、植生、そして行き来する車がほとんど日本車だったこと。日本語ガイド氏によると、85%が日本車、しかもその大半がトヨタだ。
きのう(8月27日)、晩酌中にふと、小名浜港からも中古車がソ連(現ロシア)へ輸出されていたことを思い出した。
ネットで確認すると、同港では昭和64(1988)年がソ連への“中古車輸出元年”だったらしい。当時はよくわからなかったが、ゴルバチョフの「ペレストロイカ」(再構築)による“雪解け”のひとつだったようだ。木材を運搬して来た船員がお土産を買うように中古車を買う――そういう「個人輸入」だった印象がある。
島(サハリン)ではコルサコフ(大泊)、シベリア大陸(ウラジオストク、ナホトカ)ではナホトカが中古車の陸揚げ地らしかった。
それからおよそ30年後。あちこちへこんで錆びた超年代モノからピカピカのレクサスまで、どこへ行っても日本車であふれていた。トラックやタクシーなどは、日本の企業名がそのまま残っている=写真。
感心したことがある。横断歩道では歩行者優先が徹底されていた。台湾やベトナムでは冷や冷やしながら横断したものだが、ロシアではスーッと車が止まる。日本はやはり台湾とロシアの中間だな、と思った。
サハリンと大陸との違いもあった。島は未舗装道路が多いのか、ほこりと泥まみれの車が大半だ。洗車してもすぐ泥んこになる、だからそのままにしておく? ウラジオストク、ナホトカではきれいな車が多かった。
それともうひとつ。日本車だから長持ちするとはいっても、道路の路肩には何台も故障車が止まっていた。日本だとすぐJAFに頼むところだが、ロシアでは同様の組織がないのか、あっても費用が高いのか、自分たちで修理するのが当たり前のようだった。
私は20代半ばで車の運転を始めた。パブリカ、ギャラン、アコードと乗り継ぎ、会社を辞めると同時にパジェロからフィットに切り替えた。いずれも中古車だ。40年前のパブリカはともかく、アコードあたりはサハリンか大陸で走っているかもしれない。しばし目を凝らしたが、もとよりナンバーはロシア式で細長い。わかるはずもなかった。
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