夜は浅田次郎の小説集「帰郷」を読みながら眠りに就く。2行でも3行でもいい、引き締まってテンポのいい文体に触れることで、小説の醍醐味を体にしみこませる。それを“鏡”にしてひたすら朝から夕方まで“市民文学”を読み続ける。夕方には目がかすみ、頭が重くなる。
近くに仮オープンしたばかりのカフェがある。カミサンが「行ってみよう」というので、気分転換を兼ねて出かけた。平六小そばの、元診療所の建物を利用した「スープカフェあかり」=写真。
昔、診療所の主は「やけど医者」として有名だった。昭和28(1953)年9月24日、詩人草野心平が平六小(旧神谷小)の校歌をつくるため、下調べにやって来た。晩には、「やけど医者」大場家で歓迎の宴が開かれた。心平と、校長やPTA役員らがごちそうをつついてにぎやかに語り合った。
心平のいとこの草野悟郎さん(当時平二中校長)も同席した。というより、悟郎先生の口利きで心平が来校した。「歴程」369号(草野心平追悼号)に悟郎先生が書いている。
心平来校2年前に発行された『神谷郷土史』によれば、大場家は父子で村医・校医を務めていた。若先生の夫人はPTA副会長。ずっと後年、私ら夫婦が子どもを連れて神谷へ引っ越して来たときも「やけど医者」は健在だった。先生が亡くなり、やがて奥さんが交通事故で亡くなったあと、母屋も診療所も空き家の状態が続いた。 (追記:マイカー時代に入って、診療所は神谷から草野駅前に移ったということです。したがって、写真の診療所は神谷時代のもの。「草野のやけど医者」は後年のことのようです)
平成21(2009)年。前年秋に会社を辞めて時間に余裕ができたとき、近くの神谷公民館の市民講座「基本のえんぴつ画」に参加した。10月に終了する前、公民館の周辺で写生会が行われた。建物が和洋折衷の元診療所をスケッチした。そこだけが「昭和モダン」のにおいを発していた。
「スープカフェあかり」はちょっと前まで平市街にあった。「移転再オープン」だという。初めて診療所の中に入った。床は板張り、窓は下の2枚が曇りガラス、上の2枚が素通しだ。診察室なので外から見られないように、という配慮だったか。店の南面は神谷耕土(水田地帯)。北側は小川江筋が流れる山裾の小集落。北側の素通しガラスにイナゴが張り付いていた。
童話的、いやだれかの短編小説にでも出てきそうなちんまりした店だ。あずきのスムージーでのどを潤しながら、横長の素通しガラス越しに広がる青空と雲に見入った。
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