ユジノサハリンスク(豊原)の市街を抜けて平原の間を北へ向かった。畑でトラクターが動いている。取り残しのタマネギがいくつか転がっていた。トマトやキュウリのハウスも何棟かある。それらはしかし、その一角だけといった感じ。あとは草原や林、とこどころ集落――その繰り返しだ。
草原に点々と紅紫色の花が咲いている。いわきでも見られるミソハギかと思ったが、ヤナギランだという=写真。これが、宮沢賢治の詩に出てくる花か!
「その背のなだらかな丘陵の鴇(とき)いろは
いちめんのやなぎらんの花だ」 (<オホーツク挽歌>)
「やなぎらんやあかつめくさの群落」
「やなぎらんの光の点綴(てんてつ)」 (<樺太鉄道>)
「いちめんのやなぎらんの群落が
光ともやの紫いろの花をつけ
遠くから近くからけむつてゐる」 (<鈴谷平原>)
このヤナギランの花畑を見たくてサハリンへやって来たのだ。峠を越えてオホーツク海沿いのスタロドゥブスコエ(栄浜)に出て、さらにボストチヌイ(元泊)へ向かって海岸線を北上すると、より紅紫色や黄色の花の群落が目立つようになった。(シベリア大陸のウラジオストク~ナホトカの道路沿いにも同じ花畑が広がっていた)
日本へ帰ってミソハギとの違いを調べる。ミソハギはミソハギ科で6弁花、ヤナギランはアカバナ科で4弁花。縦に長く花をつける点では同じだ。黄花で名前がわかるのはオミナエシ(の仲間?)くらいだった。
大正12(1923)年8月4日(推定)、賢治は汽車の窓から、さらには降り立った栄浜でヤナギランの群落を見た。それから93年後の8月3日、私たちはヤナギランの紅紫色を目に焼きつけ、元栄浜駅のプラットホーム跡に立った。
<オホーツク挽歌>や<樺太鉄道><鈴谷平原>の詩群を現地の風景に重ねて読むと、賢治の博識と鋭い感性がほぼ自動的に内面に映し出された風景を記録していることがわかる。今流にいえば、スマホで動画を撮るように「心象」をスケッチした。
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