いわきからは朝の「特急ひたち」で東京駅へ。そこで昼過ぎのJR「成田エクスプレス」で成田空港へ向かった。いわきの天気はよかったが、首都圏に近づくにつれておかしくなった。雷雨のところもあった。飛べるのだろうか――そんな不安が一瞬よぎった。
夕方4時半。ターミナルビルからバスで空港のはじっこに移動し、オーロラ航空のプロペラ旅客機(ボンバルディア)で飛び立つ。雲海の東北と北海道を縦断し、2時間半後にはサハリン州都ユジノサハリンスク(旧豊原市)に着いた。時差は2時間。空港から市内に入ったときには、現地時間で夜9時になっていた。(以後、現ロシア名と旧日本名がごっちゃになることをお許しいただきたい)
空港で迎えてくれた日本語ガイドと車の運転手とは、5日朝に空港で別れるまで、ホテル以外の時間を共にした。ガイドはたぶん、サハリンでは最高の「インタープリター」(自然解説者)だ。動植物はもちろん菌類にも詳しい。和名に通じているのがありがたかった。学者かと思ったが、狩猟や採集の現場の人らしい。日本語は独学で習得したという。
さて、見知らぬ土地へ出かけると、地形からどんな流域なのかを想像する。台湾でも、南会津でもそうだった。そこから自然をフィールドにした人間と人間の関係、つまり経済や文化の質を思いえがく。
泊まったホテルの東に山が連なっていた=写真。鈴谷山脈だろう。西には樺太山脈がのびる。その間に鈴谷平野が広がる。海は南。ユジノサハリンスクは南へ流れるススヤ川の下流に位置するわけだ。福島県でいえば、川の流れは逆だが郡山市のようなものか。
川を軸にした南北の交易ルートだけではない。山を越える東西のルートもあっただろう。例えば、ノルウェーのフィヨルドの村からは急しゅんな山を越える「ニシンの道」があった。サハリンにも鈴谷山脈の西(内陸部)のアイヌと東(オホーツク海)のアイヌを結ぶ交易ルートがあった。インタープリターを介すると、いろんな「物語」が見えてくる。
州都は、碁盤目状に道路が張り巡らされていた。日本統治時代、札幌と同じような都市計画が実施された。その意味ではわかりやすい街だった。
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