またまた朝ドラ「ひよっこ」にからんだ話で恐縮なのだが――。
昭和41(1966)年6月29日~7月3日、ビートルズが来日し、公演した。私は高専3年生、数え18歳。武道館へ聴きに行った後輩の1年生は、朝ドラ・谷田部みね子の叔父の熱狂そのものだった。リンゴ・スターが好きだった。私もビートルズの音楽になじむうちに、ジョウジ・ハリスンに引かれていった。
ビートルズは「画期的」どころか、「画期」だった。少年が「表現」に目覚めることは、当時の私の周囲では詩を書いたり、小説を書いたりすること、つまり「文学」に目覚めることだった。ところが、「団塊の世代」直下の後輩は違っていた。「音楽」が表現の中心になっていた。
そのころ、常磐地方の14市町村が合併して「いわき市」が誕生する。いわき総合図書館で平成29年度の前期常設展「写真でみる
いわき市誕生 その2――昭和40年代 平(現いわき)駅前の賑わい」が始まった。
資料=写真(左側は「その1」、28年度後期の常設展)=をパラパラやっているうちに、当時、高専の学生が駅前のあちこちの喫茶店に入り浸っていたことを思い出した(実は先日、知人から平の喫茶店に関する資料がないかと聞かれた。1冊だけ記憶にあったので、図書館へ確かめに行ったのだった)。
一番身近なところでは三田小路の「じゅん」、ビートルズ好きの後輩は駅前から少し遠い南町の東はずれの方にあった「アジト」、先輩たちは「フィレンツェ」。ときどき出かけたのは平和通りの「エスカイヤ」。ほかにも、足を運んだ喫茶店がいくつかある。今残っているのは「じゅん」(内郷に移転)だけだろうか。
ジャズでもロックでもクラシックでもなく、今思えば甘ったるいフォークソングに引かれていた人間には、ビートルズは後輩から教えられた“劇薬”だった。同時に、喫茶店はコーヒーを飲む店である以上に、人生とかかわる場所だった。喫茶店を抜きにしてその人生を語れない人間を何人か知っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿