期待していた以上だった。平地から急坂を駆け上がり、夏井川渓谷に入ると、ガケの中腹にヤマユリの白い花が咲いていた。それからは点々と、谷側のガードレールのそば、山側のガケの中腹から、白く大きな花=写真=や蕾が目に飛び込んできた。
きのう(7月16日)、日曜日朝のことだ。1週間前の日曜日には影も形もなかったのが、月曜日以降、次々と蕾を膨らませ、花を咲かせたのだろう。たまたま家を出るとき、カミサンにつぶやいた。「ヤマユリが咲いているかもしれない」。大当たりだった。「ヤマユリ街道だね」。車の助手席から感嘆の声がもれた。
同じ阿武隈高地でも標高の高い田村市の山里では、ヤマユリの開花がちょっと遅れる。夏休みの始まりとほぼ一緒だ。子どもにとっては、ヤマユリは「夏休みを告げるうれしい花」だ。青空と入道雲に雑木林の道端に咲くヤマユリの花と香りを重ねると、梅雨が明けて真夏がきた、というイメージが広がる。
渓谷からひとつ山をはさんだ北側に「ヤマユリ分校」があった。小川小・中の戸渡(とわだ)分校で、昭和34(1959)年、同36年、分校生が皇居に地元のヤマユリの球根を寄贈すると、お礼に皇太子夫妻(現天皇・皇后)から『新美南吉童話全集』(全3巻)とメタセコイアの苗木が贈られた。
分校はやがて廃校になり、建物は「戸渡リターンプロジェクト」の拠点として再利用された。プロジェクト活動の「前進と反発、逡巡と停滞が繰り返され」る(いわき地域学會発行『いわきの地誌』)なか、旧来住民世帯が減り、震災・原発事故が追い打ちをかける。戸渡は「追い出された集落」になった。
ヤマユリの花が咲くと――。「夏休み」「ヤマユリ分校」を連想したが、これからは「ヤマユリ街道」を加えよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿