2018年11月3日土曜日

ふるさとの米

 阿武隈高地のふるさと・田村市常葉町の話――。中学校の同級会が郡山市の磐梯熱海温泉で開かれた。常葉発着で旅館のバスが運行された。実家に用があったので、いわきから車で出かけ、このバスを利用した。帰りに一人、同級生を家まで送った。お礼に彼がつくった新米(玄米)=写真下1=をもらった、ということを前に書いた。
 カミサンが米屋の支店をまかされている。本店には精米設備がある。もらった玄米を義弟に頼んで精米してもらった。「品種はわからないけど、粒はしっかりしている」という。

その新米をきのう(11月2日)朝、カミサンが炊いた=写真下2。白い。米は白いのが当たり前だが、新米はこんなに白いのか、という白さだ。かみごたえもある。「粒がしっかりしている」というのがそれだろう。かんでいるうちに、ほのかなうまみが口中に広がった。
同級生が管理している田んぼは一筋町の西南、阿武隈川の支流・大滝根川に向かってのびた尾根と尾根の間に、段々になって連なる。自宅は田んぼの奥、手のひらでいえば“指また”に当たる小集落にある。山田作という――と書いて、急にいろいろ思い出した。

 まだプールがなかった時代、子どもたちは夏になると、大滝根川で水浴び(水泳ぎではない)をした。水に慣れ、水に浮くことを覚えると(小学校の高学年、あるいは中学生になりたてだったか)、自転車で町はずれの「山田作の沼」へ出かけて泳いだ。遊泳禁止のため池だった。親や先生の耳に入ると怒られる。そこで深く広い沼に浮かぶ快感と怖さを知り、必死になって泳ぐことを覚えた。

 沼への道しか知らなかった。車で送り届けた同級生の家は沼の奥にあるものだとずっと思っていた。が、そうではなかった。となりの沢(田んぼ)の奥だった。沼の道からも少し遠回りだが行ける。

もうひとつ思い出したことがある。「山田作の沼から水死体が揚がった」というので、仲間で自転車を飛ばし、見に行ったのは小学校の4年生のころだったか。沼のへりに消防団員らが輪になっていた。足元から人の左手らしいものが見えた。小さなグローブのように膨らんでいた。あとで見知ったおばさんが入水したのだと知った。

沼とも少年期とも関係ないが、後年、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に、「エンペラー吉田」が出演した。「えらぐ(偉く)なくともただしくいぎる(正しく生きる)」と叫び、話の途中に入れ歯がのぞいて茶の間の笑いをとった。エンペラー吉田の自宅は山田作にあった。

山田作の米をかみしめながら、少年期のあれこれを思い出したのは、きっとそれがかけがえのないなにかだったからだ。そう、常葉のマチ場の子どもたちにとって、沼は、沼までの道筋も含めて冒険の世界、映画「スタンド・バイ・ミー」そのものだった。

0 件のコメント: