吉野せいの代表作「洟をたらした神」の主人公ノボルは、数え六つの男の子。家が貧しいので、独楽(こま)や竹トンボなどは自分でつくる。ヨーヨーが欲しいのに、親は買ってくれない。で、山からまるく盛り上がった“こじれ松”の枝を取ってきて、ヨーヨーを自作した。その出来栄えの見事なこと――。昭和5(1930)年夏のことだ。
ヨーヨーの話は、わきにおく。文中に、当時の開墾集落の子どもたちの遊びと遊具が登場する。「竹馬」「ねんがら打(ぶ)ち」「ペッタ(メンコ)」「ビー玉のかっきり」……。ほかに、斜面を「辷(すべ)りおちる快適な土地(どじ)車のゆさぶり心地」とある。
「土地車」ってなんだ? 検索してたどり着いたのが、2012年・いわき総合図書館レファレンス事例だった。「暮らしの伝承郷に照会した結果、好間町在住の男性78歳から回答があった」。その要旨を次に記す。
「四輪台車のようなもので、幅30~40センチ、長さ100センチほどの木の板1枚と、杉や松の丸太を切って作った厚さ4~5センチのタイヤ状のものを4個用意し、丸太の真ん中にドリルで穴を開け、2個ずつ芯棒に通す。これを板の下に置いて前後のタイヤにする。フジづるで輪をつくり、前のタイヤの芯棒の元にしばって置き、ハンドルにした」
どうもよくわからない。「これを急な山の斜面に担いだり引いたりして持って行き、下に向かって滑る。舗装されていない山の斜面を滑ったので、石をよけて滑らなければゴトンゴトンと揺れた。男の子の遊びで、たいした遊びだった」。四輪台車のようなモノ――雪の斜面ならソリがある。緑の斜面だから、ソリに似た形状の四輪車だろうか。
きのう(11月25日)、内郷・白水小と近くの「みろく沢炭砿資料館」を主会場に、「しらみずアーツキャンプ」というイベントが開かれた。
なかに、90歳を越えたみろく沢炭砿資料館主・渡辺為雄さんの歴史を振り返る催しがあった。ノボルがヨーヨーなどを自作したように、為雄さんも幼少期、「ドヂ車(手作り木製三輪車)」を製作ウンヌンと紹介文にあった。
ドヂ車=ドジ車(土地車)だろう。強い磁力に引っ張られて資料館を訪ねた。知人が何人かいた。そのひとり、いわき地域学會の仲間のNさんに聞くと、「ドヂ車は資料館にある」という。すぐ案内してくれた。かなり精巧な三輪車だった=写真。
たまたま見学に来ていた年配者と一緒になった。ドヂ車に詳しい。「四輪車はなかったですか」「三輪車だよ。ペダルがないので斜面を滑りおりた」という。為雄さんの三輪車は店で売っている三輪車のかたちに近い。どうやら改良された「現代風のドヂ車」ということになるらしい。「すわるところもこんなに板で覆われてはいなかった」と年配のおじさん。
なるほど。内郷では三輪車、ひとつ丘を越えた好間では四輪車――どっちかひとつに絞る必要はない。子どもは子どもなりに、身近な世界で調達できるもので「ドヂ車」をつくったのだろう。内郷のドヂ車は炭鉱で使われた資材その他の廃物、たとえばタイヤは丸い板状の木片を利用した、と年配のおじさんは説明してくれた。
ノボルは昭和5年で「かぞえ六つ」だから、平成30(2018)年の今は「かぞえ94歳」ということになる。為雄さんよりひとつ上か同年齢だ。ノボルはタメオで、為雄さんもまた「洟をたらした神」だったか。
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