「月光仮面」は日本のテレビ黎明期、子どもたちが熱狂した最初のヒーローだ。原作者は終戦後、いわきに住んだこともある川内康範(川内潔士)。
わたしたち団塊の世代は昭和30年代前半、テレビ・週刊漫画雑誌の草創期に小学生だった。まだラジオ屋(家電商)にしかテレビがないとき、そこで「月光仮面」を見た。
若い人にいわきのメディア社会史を伝えるために、月光仮面について調べたことがある。「月光仮面」はまず、月刊「少年クラブ」の昭和33(1958)年5月号に登場する。テレビ番組の制作会社が放映のために企画し、タイアップの掲載誌として棚ボタ式に決まった。うなぎ上りのテレビ人気にあやかり、「少年クラブ」の部数も伸びた。メディアミックスのはじまりだった。
今度の「昭和は~」でも紹介されていたが、原作者の川内康範は「月光仮面」について、こう言っている。「私はおこがましくも、『憎むな、殺すな、赦しましょう』のキャッチフレーズこそは、現代を背負う子供たちに対する、戦争否定の精神を植えつけ基本的な要素であると考えた」(佐々木守『ネオンサインと月光仮面―宣弘社・小林利雄の仕事』筑摩書房)。最初のテレビドラマのポイントはここだろう。
「月光仮面」は昭和33(1958)年2月24日~同34年7月5日、TBSで放送された。主題歌「月光仮面は誰でしょう」はとっくに忘れたと思っていたが、「月光仮面のおじさんは……」とくると、「正義の味方よ
善い人よ/疾風(はやて)のように 現れて/疾風(はやて)のように 去って行く」と脳みそが反応した。
私は、熱狂するほどではなかったが、小学校に上がる前の弟が仮面をかぶり、マント代わりに風呂敷を首に巻いて、物置の屋根だか塀だかから飛び降りてけがをした。そんな子どもが続出したのではなかったか。
ついでにいえば、いわきで発行された「夕刊ふくしま」に昭和34年6月11日から翌35年2月5日まで、この「月光仮面」が二度にわたって計182回連載された。
連載に先立ち、作者は社告にこう書いた。「私は、いまから約7年程前に平市や湯本町に住んでいたことがあり、海岸通りの各土地にはたくさんの知人がおります。だから、『夕刊ふくしま』に私の作品を発表することは、第二の郷土である福島とのつながりをさらに深めることになると信じてます。少年少女諸君、どうぞ応援して下さい」。「月光仮面」といわきの縁は深い。
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