福島の詩人和合亮一さんが「心平さんがいつも隣に」と題するエッセーを寄稿している。毎年何回か、中通りから在来線(郡山駅から小川郷駅まではJR磐越東線)を利用して心平記念文学館へ行くという。
「街から山の中へ、そして川沿いへ。車窓の空の表情が少しずつ変わっていく。雄大な景色とそこに浮かぶ雲が、心平さんの心の世界を見せてくれているように感じる。眺めながら駅弁などを開くと、詩人と並んで食べているような気がしてくる。歓迎されるかのように『背戸峨廊(せどがろ)』と呼ばれ親しまれている美しい渓谷の入り口のあたりを抜けていく。ここは心平さんが名付けた景勝地である」
「背戸峨廊」に、正確に「せどがろ」とルビを振っている=写真。拙ブログで何回も指摘したことだが、誤って広まった読み方「せとがろう」が跡を絶たない。「せどがろ」派が盛り返してきたのはつい最近で、福島県を代表する現役詩人が「せどがろ」派に加わったことは心強い。
ついでにいえば、夏井川渓谷と背戸峨廊は同じではない。磐越東線から見える渓谷は夏井川渓谷、夏井川本流そのものだ。背戸峨廊は磐越東線江田駅近くで本流に注ぐ支流・江田川。山の陰にあって列車からは見えない。
最近の私的な関心は、背戸峨廊は「河川争奪」の結果、現在のような姿になったらしいということだ。江田川とは山を挟んで流れる加路(かろ)川は、大昔、水源が江田川の上流にあった。それが河川争奪の結果、江田川に流れを奪われた。
加路川流域の住民はそれを知ってかどうかはわからないが、江田川のことを「セドガロ」(背戸の加路川=裏の加路川)と呼びならわしていた。このセドガロに心平が背戸峨廊という漢字をあて、PRした結果、全国的に知られるようになった。
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