草野心平記念文学館の小さな企画展に刺激されて、心平のコウノトリの詩を読んだ。小さな企画展で紹介された詩は3篇。「幻の鳥の一列」「コウノトリ自身」と、「新年の白鳥」だ。
「幻の鳥の一列」はこのタイトルの「上」で取り上げた。小川の夏井川に飛来したコウノトリの連想から、いわきにも昔はコウノトリが生息していたのではないかと思わせる詩だ。
「コウノトリ自身」はそれと違って、シルクロードのプハラにあるモスクのてっぺんに営巣したコウノトリへの「疑問」をテーマにしている。
まずはこちらの誤読から。作中に出てくる「プハラ」は、「プラハ」の誤植ではないか、最初そう思った。
プラハはチェコの首都。コウノトリといえば、ヨーロッパの鳥と錯覚するのは、テレビの自然番組の影響だろう。
しかし、向こうのそれは「シュバシコウ」といって、アジアのコウノトリよりは一回り小さい種らしい。
そこから誤読をほぐす。プラハではなく、やはりプハラ。ウズベキスタン第2の都市の名前だという。
それを確信したのは、年の若い知り合いがフェイスブックに昔の文章を載せていたからだ。
シルクロードの記事で、ウズベクの都市の名前としてプハラが登場する。で、プラハではなく、やはりプハラだったか、と納得。
さらに図書館から心平の詩集『太陽は東からあがる』(彌生書房、1970年)を借りて、「コウノトリ自身」の詩=写真=を読み、プハラと心平のコウノトリについての疑問がよくわかった。
心平の誕生日は5月12日だ。1968年のその日、心平はウズベキスタンのサマルカンドにいて、作家総会のクラブで数人の文学者から誕生日を祝ってもらった。
その席で心平がこんなことを尋ねる。「どうしてモスクの。あんなすべっこいドームを殊更にえらんで巣をつくるんでしょうねコウノトリってのは。あんなまんまるいてっぺんに枯木を集めて。」
すると、一人の文学者が言った。「それはね。ミスタア・クサアノ。/も一度プハラへ行ってコウノトリ自身にきくんだね。」
どっと笑いが起きたが、コウノトリ自身に聞くことはできない。でも、もう一度行ってコウノトリを見たかった、砂嵐にも揺るがない枯木の巣には「頑丈な合理」があるに違いない――心平はそう思いつつ振り返る。
コウノトリがあちこちのモスクのてっぺんに巣をかけ、「ゆんゆん」と飛んでいるのもいた。
盛んだった昔のシルクロードを、プハラを、そしてコウノトリの今昔に思いを馳せるところで詩は終わる。
今、プハラのモスクにコウノトリはいるのかどうか。ネットで探ると、実際のコウノトリではなく、コウノトリをデザインしたはさみばかりが現れる。現実のコウノトリがすむ環境は、どうも昔とは違っているらしい。
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