2025年9月25日木曜日

もう一つの光

                                            
   いわき市の現代美術家吉田重信さんは、太陽光を利用して展示空間そのものを作品化するインスタレーションで知られる。

その「光の作家」が9月28日まで、ギャラリーいわき(泉ケ丘)で個展「死光(しびかり)」を開いている=写真(案内はがき)。

 「死光」とは聞きなれない言葉だ。案内はがきに記された本人の言葉から、二つの意味が浮かび上がる。

 一つは古語。「死に際の立派なこと」などを意味する。もう一つは「ある種の細胞が死を迎える際に光を発する現象」をいうそうだ。

 生物学的な現象とはどういうものか。本人の弁に従って、ネットで調べるとあった。死につつある線虫に紫外線を当てると、死への過程で青い蛍光が放たれる。光は次第に強くなり、死の瞬間に最大化するという。

 「青い光」、それは太陽光とは違った「もう一つの光」である。吉田さんはそれも踏まえて「現存在のあり方」そのものを問い直すべきではないかという。

 そういう問題意識から生まれたはがき大のモノクロ写真が展示されている。キャプションには撮影場所と撮影年月日、そして時刻が書き加えられている。

たとえば、案内はがき。「夢殿『2021.10.31.13.08』」は、法隆寺の夢殿の屋根に飾られた「舎利瓶(しゃりびょう)」=炎に包まれた宝珠に太陽が重なった瞬間(2021年10月31日13時08分)をとらえている。

撮影場所は六角堂(茨城県)、南紀白浜、春日大社、建仁寺、足尾銅山、新潟市、三条大橋、いわき市など全国に及ぶ。

 なかでも中禅寺湖の二荒山神社の作品は、見た瞬間に「レイライン(光の道)」という言葉が思い浮かんだ。

前景に神木のある境内、石段の下、鳥居の手前に人間が2人、その向こうに中禅寺湖。そして、鳥居の真上には太陽。太陽と鳥居、人間とその影が、いわばレイラインで一直線に結ばれている。

鳥居からこちら側は「聖」の空間、向こうは「俗」の空間。逆光の中にそんな聖と俗の対比を見ることも可能だろう。

夏至や冬至、春分・秋分といった節目の日に太陽の光と結ばれる「聖地」がある。その構造を、地学的データやGPS(全地球測位システム)を利用して科学的に分析した話を聞いて以来、自然の中でレイラインを読む楽しみが増した。

 それを意識したのかと聞けば、そうではなかった。2人の人間がその位置に立つまで少し待っただけだという。

吉田さんと話しているうちに、彼が光を作品に取り入れるために使っている「道具」にも興味を覚えた。

インスタレーションには太陽光採光システムを利用し、映像作品にはレンズにプリズムを装着したビデオカメラも使われた。

そして、今回の「死光」はアイフォン(スマホ)で撮影した。デジカメを利用した古い作品も、もちろんある。

大きく拡大しても解像度がいいので、作品化が可能だそうだ。そこまできているのか。彼の話を聞いて、デジカメにとどまっている人間はただただ驚いた。

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