いわき市文化センター5階で10月26日まで、冨田武子遺作展が開かれている=写真。23日付のいわき民報で知り、ルーティンの「朝活」をすませてからすぐ見に行った。
冨田さんはいわき市内の中学校美術教諭を定年で退職したあと、画家として制作活動に励み、主にボタニカルアートを手がけてきた。
菌類にも造詣が深く、長年、いわきキノコ同好会の会長を務めた。私も創立時から同好会に加わり、冨田さんから多くのことを学んだ。
去年(2024年)暮れの総会では、第30号の会報を最後に、会を解散することが決まった。それから季節がひとつ巡ったばかりの4月に亡くなった。総会で顔を合わせたのが最後になった。
最終30号の原稿は11月1日締め切りという案内が、ずいぶん前に事務局(遺族)から届いた。
会報には拙ブログの中からキノコに関する文章を選んで転載してきた。今回も同じ流れで、冨田さんの思い出を中心に文章を組み立てた。先日やっと、それをメールで送った。
遺作展は、冨田さんが講師を務めた「ボタニカルアート泉」が、恒例の作品展に併せて企画した。
会場の隣では、新世紀福島支部の作品展が同会期で開かれている。そちらにも冨田さんの「タンポポと綿帽子」(油彩)が遺作として展示された。
冨田さんのボタニカルアート作品はいわき民報紙上でなじんできたが、原画にはやはり作者の息遣いが感じられる。
キノコと植物を組み合わせたもの、キノコ単独のものとあるが、ボタニカルアートの世界では、菌類の細密画はきわめて珍しいのではないだろうか。
種類でいうと、ナスコンイッポンシメジ、ヌメリアイタケ、キツネノワン、オオシロカラカサタケ、アミガサタケ、エノキタケ、ムラサキシメジ、コウタケが美を競っている。
「サトザクラとキノコ」と題された作品は、サトザクラの花と猛毒のシャグマアミガサタケを組み合わせたものだ。
単に「キノコ」としたのは、猛毒と知って鑑賞者が不安になるのを避ける意味があったか。
オオシロカラカサタケは南方系の毒キノコで、日本では関西を中心に分布し、いわき市内ではハウス内での発生は確認されていたが、野外では未確認だった。
これが冨田さんによって、泉町の住宅の庭や畑で確認された、誤って採取しないように、という呼びかけも兼ねていたはずだ。
食毒を超えてキノコの美を伝えるだけでなく、キノコによる食中毒を防ぐ一助になれば、という思いがあったことは30年に及ぶ交流のなかで、肌で感じてきたことだ。
私は、ナスコンイッポンシメジには出合ったことがない。冨田さんは、画家としてはこのキノコを、色を最も愛していたのではないか――。作品を見ながら、そんなことを思った。
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