2021年10月18日月曜日

初ストーブ

                             
 日曜日(10月17日)は朝から雨になった。夏井川渓谷の隠居へ行ってもやることはない。が、1週間前に三春ネギの種をまいた。もしかしたら、発芽しているかもしれない。それを確かめるだけでも行く意味がある。

 朝食は隠居でとることにして、いつもの日曜日より1時間ほど早く家を出た。途中、チェックしたいことが二つあった。どちらもハクチョウがらみだ。

 平窪の田んぼはあらかた稲刈りが済んだ。コハクチョウが夏井川へ飛来すると、日中、ここに現れてえさをついばむ。

1週間前、小川・三島の夏井川でコハクチョウの初飛来を確認した。平窪の夏井川にも飛来し、少しずつ数を増やしているのではないか。だとしたら、田んぼにも――

そんな期待を抱いて、平窪の田んぼ道を行くと、白く大きな鳥が何羽もいる。遠目にはコハクチョウかシラサギか区別がつかない。

首を地面に近づけていた1羽がいる。ハクチョウだ! 車をバックさせたら、その鳥の首が急に長くなった。カミサンが「シラサギだよ、“ハクチョウ目”になっている」と笑う。

シラサギでも、くちばしは黄色いからダイサギだ。ダイサギとコハクチョウは首の長さで区別できる。ダイサギは細くて長い。コハクチョウも長いが、胴体からちょっと突き出たような感じ。ダイサギの首が地面をうかがうようにしていたためにコハクチョウと勘違いした。田んぼの白い鳥は、よく見るとすべてダイサギだった。

三島にも何羽かコハクチョウが来ているのではないか、と思ったが……。残留コハクチョウの「エレン」が川の中央で休んでいるだけだった。以前、えさをやる「白鳥おばさん」と会ったのは8時前。その時間に合わせて家を出たのだが、すれ違いだったようだ。

隠居では、フード付きのコートを着て、庭の畑に生ごみを埋めた。土いじりといえるのはそれだけ。朝食をとっていると、ラジオが9時のニュースで北海道に初雪が降ったことを伝えた。こちらは東北南端の太平洋側だ。冷たい雨が降り続いている。カミサンが石油ストーブをつけた=写真上1。この秋の初ストーブだ。

背中を温めたあとは、傘をさしてネギの苗床を観察する。1週間前と変化は見られない。なおも目をこらす。ん? 2~3ミリほどだが、黄緑色の突起がある。接写してデータを拡大すると、ヘアピン状=写真上2=になっている。ネギが芽生えたのだ。

周りにある黒い粒々は雨で土の布団をはがされたネギの種だろう。発芽率はどのくらいになるかわからない。が、今年(2021年)の種は発芽する力を持っていた。それを確認しただけでもホッとする。

あとは庭のあちこちを観察して回る。ツチグリは湿り気を帯びて殻を開いていた=写真上3。中央の袋に触れると胞子が飛び出した。

隠居滞在はざっと2時間。街へ下って、友人の個展をのぞき、図書館で調べものをしたあと、テイクアウトの弁当を買って帰宅した。やはり寒い。家でも今季初めてストーブをつけた。

2021年10月17日日曜日

対面でのおしゃべり

                      
 「ニュー碧空の会」というシルバーのサークルがある。圧倒的に女性が多い。知り合いが2人入っている。

 去年(2020年)の暮れだったか、今年の初めだったか、会長さんから電話があった。10月の講師を頼まれ、演題その他をファクスで送った。

 そのあと、新型コロナウイルスの感染が拡大した。公共施設が臨時休館に入り、再開されたと思ったら、また休館になった。

 ずいぶん先のことと思っていた10月も、いつの間にかやってきた。9月の終わり、会長さん宅に電話をすると、奥さんが出た。「主人は亡くなりました」。代わって、会長代行さんから電話が入った。「9月末でいわき市の『まん延防止等重点措置』が終わるので、予定通り実施する」という。このへんの経緯は前に書いた。

 演題は「吉野せい『洟をたらした神』を読み解く」にした。近所に住むカミサンの高校の同級生にレジュメを渡して、当日、コピーを配ってもらった。

 おととい(10月15日)、25人ほどの前でおしゃべりをした。対面だから、表情がよくわかる。全体を見渡しながらなので、時間配分もそれなりにうまくいった。

 『洟をたらした神』は昭和50(1975)年、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。前者は「女流作家のすぐれた作品」に贈られる。文字通り、『洟をたらした神』を文学作品として評価した。後者はノンフィクション賞、現実の生活体験を独特の文体で表現したことが高く評価された。

 『洟をたらした神』が本になったあと、せいは盟友の草野心平にはがきを出す。「身辺雑記とけなされてしまうことだけは悲しいと思います」。身辺雑記=「生活手記」を越えた「文学」を書いたという自負がのぞく。

『洟をたらした神』の注釈づくりをしていると、生活手記のスタイルをとった小説、つまり大宅壮一ノンフィクション賞より田村俊子賞が重みを増してくる。せいの真情もまたそこにあったのではないか――といったことを話した。

 対面でのおしゃべりに先立ち、日曜日(10月10日)に、やはり再開されたばかりの市立草野心平記念文学館へ行った。「新収蔵品展」が前日に始まった。

企画展とは別に、スポット展示でせいの作品「梨花」を取り上げている。作品の元になった文章を記した日記帳が展示されている。A4判を半分にしたくらいの大きさだった。それも強く印象に残った。

 さらに、図書館のホームページを開き、「郷土資料のページ」でいわき民報の記事を閲覧した。昭和50年3月8日付社会面に「『洟をたらした神』に田村俊子賞/“面くらった”吉野さん/18日授賞式 立会人に草野心平氏」の記事が載る=写真。26歳の私が75歳のせいさんを取材して書いた。女性なのに「古武士」然とした印象を受けた、という話もした。

「いわきツーリズムガイド養成講座」(10回シリーズ)が9月にオンラインで開講した。いわき観光まちづくりビューローが主催し、いわき地域学會が協力している。

私も11月初旬に話す。レジュメを郵送したら、連絡がきた。10月からは文化センターでの講座に切り替わった。やはり、オンラインよりは対面がいい。

2021年10月16日土曜日

『誕生鳥辞典』

           
 4年に1回、うるう年がくる。2月が1日増え、1年が366日になる。2月29日生まれの人も忘れずに加えた『366日誕生鳥辞典――世界の美しい鳥』(いろは出版、2021年)=写真=を、図書館から借りた。

日本の鳥ももちろん入っている。ひとことでいうと、鳥は美しい、そしておもしろい。不思議でもある。上野動物園の元園長・小宮輝之さんが文章を、画家の倉内渚さんが絵を担当した。

世の中には誕生石や誕生花がある。ならば誕生鳥があってもいいのではないか、というのが動機だったとか。

私たちがふだん目にする鳥は、カラスやスズメ、ヒヨドリ、ドバトぐらいだ。ハデな色でもなく、キバツな形をしているわけでもない。ところが、世界に目を転じると、「なんだ、これは……」という鳥がいっぱいいる。

鳥にまつわる記念日がたくさんある、国鳥を選定している国がある、国旗に鳥を描いている国がある。それぞれの独立記念日などに合わせて鳥を選んだ。さらには、かかわりのある月日や季節を選び、宝石の名を冠した鳥はそれぞれの月の誕生石にあわせた――と後書きにある。

とりあえず自分の誕生鳥を見たら、11月19日・コンゴウインコだった。中南米を代表する赤、青、黄色が鮮やかな大型のインコで、先住民はこの鳥の羽を祭礼の冠や飾りに利用している。「多くはひなのうちから飼い慣らし、毎年換羽の時期に落ちる羽を集積したもの」だとか。これだとインコと共存できる。

「なんだ、これは……」の筆頭は、4月12日・カタカケフウチョウの雄。雌に見せるディスプレイが変わっている。

一見、真っ黒いかたまりが雌の前にできる。その中に青い口のようなものが裂けて広がり、同じ青色の目のようなものが二つちょこんとつく。ジブリ作品に出てくる「ススワタリ(まっくろくろすけ)」を連想した。ススワタリを横に伸ばして、目と口を青くした感じ、といったら近いか。

5月3日・アカミノフウチョウ(雄)の色彩、同22日・キジオライチョウ(雄)の胸の奇妙なふくらみも印象に残る。

さて、いわきの山野との関連ではどうか。6月2日・アカショウビンは夏鳥だ。夏井川渓谷でこの四半世紀に1回だけ鳴き声を聞いた。旅の途中に一休みしたのだろう。

4月20日・カッコウはもはや、夏井川下流域(平野部)への飛来をあきらめたようだ。夏の夜明け、標高600メートルほどのいわきの里鬼ケ城(川前)へ行かないと鳴き声を聞くことができない。そんな希少種になった。4月20日が誕生鳥なのは、その日が「国際カッコウデー」だからだそうだ。

台湾を訪れたとき、映画「非情城市」の舞台になった九份でシロガシラを見た。俗に「ペタコ」と呼ばれている。まど・みちおさんの「蕃柘榴(ばんざくろ)が落ちるのだ」という詩に出てくる。
「どこからかペタコもやってきて/ぴろっ、ぴろっ、と啼いては/黄色い玉を/ぽとり、ぽとり、落とすのだ」

台湾の国鳥はヤマムスメ。これにも一度会いたいと思っている。残念ながらシロガシラもヤマムスメも『誕生鳥辞典』には載っていない。

2021年10月15日金曜日

「新聞打者」の落とし穴

                      
 リタイア後も地域に根っこを生やした「新聞記者」のつもりでブログを書いている。その意味では「記者生活50年」になる。

 アナログ人間である。その人間がデジタル社会のなかで何を心に留めているかというと、メモは「手書き」で通すこと、これだけ。

 1990年代半ばには、地域新聞社も原稿製作が「手書き」から「パソコン入力」に切り替わった。そのとき、新聞記者は「新聞打者」になった。

書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる――と私は思っている。

 記事の書き方がアナログからデジタルに変わり、新聞記者が新聞打者になって何が起きたか

文章を書き直すのに、原稿用紙をクシャクシャにしてくずかごにポイッ、がなくなった。原稿の修正が楽になった。過去のデータもすぐ引き出せる。半面、生身の体は、脳はなにか大切なものを失ったような気がしてならない。

たとえば「薔薇」の字、これが書けなくなった。キーボードで入力すると、パソコン画面に候補の漢字が現れる。記者は(一般の人もそうだが)「薔薇」を選択するだけでよくなった。

「書く」ことをやめて、外部に映る漢字を「選ぶ」だけになった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていく――そんなイメージを抱くようになった。

私は、パソコンを「外部の脳」、自分の脳を「内部の脳」と区別して考える。外部の脳に文章の処理を任せるようになってから、内部の脳はすっかり書くことから遠ざかった。

人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない。

 それを避けるために、意識して実践しているのがメモの手書きだ。在宅ワークが基本なので、パソコンのわきにA4判のメモ用紙(新聞に折り込まれる「お悔やみ情報」の裏面)を常備している。朝から夜寝るまで、見たこと・聞いたこと・感じたこと・考えたことをメモし続ける=写真

日常を記録することで、日常に埋もれているニュースを掘り起こすこともできる。一種の自己鍛錬として、これを10年以上続けている。

 書くことは肉体的な行為だ。書く習慣が薄れると考える力も衰える。アナログ人間だからこそわかるデジタル文化の落とし穴といってもよい。

 アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳『スマホ脳』(新潮新書)にこんな一節がある。子供は「ペンを使って練習をすることで文字を覚えていく。就学前の子供を対象にした研究では、手で、つまり紙とペンで書くという運動能力が、文字を読む能力とも深くかかわっている」

「書く」という運動能力、つまりは肉体的な行為と「読む」能力は密接な関係にある。大人だって「書く」ことをやめたら、識字力は衰える。

2021年10月14日木曜日

三春ネギは秋まき

                             
 日曜日(10月10日)に「三春ネギ」の種をまいた。三春ネギは私の土いじりの原点だ。

 夏井川渓谷の隠居へ通い始めたのは四半世紀前。当時、地元の区長さんに招かれて酒を飲み、そのまま一泊した。朝食をごちそうになった。味噌汁はネギとジャガイモ。一口すすった瞬間、味蕾が反応した。香りがあって、甘くて、やわらかい。「このネギは?」「三春ネギ」。子どものころ口にしていたネギ・ジャガの味噌汁と同じ味だった。

 以来、三春ネギがいわき市の山里でも栽培されていることに感動し、懐かしさも手伝って、隠居の畑で栽培を続けている。

 本場の田村地方では、8月に「ヤトイ」という作業をする。溝を斜めに切って植え直し、曲がりネギにする。私も最初はそうしていたが、渓谷では植えっぱなしだ。それを知ってからは、私も手を抜いて土を寄せるだけにしている。ヤトイが年齢的にこたえるようになったことも大きい。

ネギには秋まきと春まきがある。いわきの平地のネギ(千住系)は春にまく。昔からの「いわき一本太ネギ」を栽培している平のSさんは「4月10日」と決めている。三春ネギはおそらく加賀系。ちょうど半年のスレがある。

 秋の播種~初夏の定植~追肥・土寄せ~晩秋の収穫がネギづくりのサイクルだ。これとは別に、採種用のネギを何本か残す。越冬してネギ坊主ができると種を採り、秋まで冷蔵庫で保管する。

 毎年安定して芽を出し、育ち、大きくなるわけではない。砂漠生まれのネギは湿気に弱い。梅雨に雨が続くと根腐れを起こす。種も湿って饐(す)えた匂いを発していたことがある。全滅だった。

それで去年(2020年)は、田村市の実家の兄が確保してくれた三春ネギの苗を定植した。今年、越年した何本かから種を採り、保管しておいたのを先の日曜日にまいた。

種は小瓶に入る程度だった=写真上1。量的には少ないと思っていたが、苗床=写真上2=が狭かったこともあって、筋まきの溝を増やし、それでも余った種は、急きょ、苗床を広げてばらまきにした。

ネギの芽生えは不思議に満ちている。地中3ミリほどのところで眠っていた黒い種から、二つ折りの状態で幼根が地面にあらわれる。人間が仰向けに寝た状態のまま膝を折ると山形になる。それに似ている。

 その山形のうち、足先が幼根となり、太ももが茎となる。黒い種の殻はそのまま茎とつながって地表に出てくる。数字でいえば「7」、記号でいえば「?」のかたちに似る。頭の黒い殻が脱落したあとは、緑の針になって空をめざす。

以上が、種をまいて10~15日たったころの様子だ。レイチェル・カーソンのいう「センス・オブ・ワンダー」(不思議さに目を見張る感性)に染まるとき。初収穫よりも、このときのいのちの形成がおもしろい。地面にはいつくばって、黒い帽子をかぶったネギの赤ちゃんに目をこらす。

2021年10月13日水曜日

文学館の新収蔵品展

                      
   企画展が始まったと思ったら、コロナ禍で臨時休館になる。主催する側も、展観する側も不完全燃焼のまま日が過ぎる――この2年間はそんな状態が続いた。

9月末でいわき市の「まん延防止等重点措置」が終わり、10月からはマスク着用や「3密」防止の基本対策に切り替わった。10日までの「リバウンド防止期間」も過ぎた。いわき市内の公共施設にもようやく「平常」の空気が戻りつつある。

いわき市立草野心平記念文学館は夏場が展観のピークだ。7月17日に「中原淳一展――美しく装うことの大切さ」が始まったと思ったら、8月7日から臨時休館に入り、「まん延防止等重点措置」の適用・延長が加わって、結局、9月30日まで休館を余儀なくされた。同展は9月12日までだったので、開催期間のあらかたが休館のまま終わった。

 ほぼ2カ月ぶりの再開だ。日曜日(10月10日)、前日に始まったばかりの「新収蔵品展」を見た。中に草野心平研究第一人者の故・深澤忠孝さん(1934~2018年)の研究資料や写真資料がある。

 深澤さんが中心の草野心平研究会は「草野心平研究」を継続して出した=写真(チラシから)。チラシには公刊分19冊が載るが、未刊の第20号編集控も展示されていた。

 夏井川の支流・江田川が「セドガロ(背戸峨廊)」として知られるようになったのは、心平が旅の雑誌に書いたことが大きい。その経緯を調べたときに、『草野心平全集』や文学館図録の年譜が“壁”になった。史実と一致しない。そのとき、「草野心平研究」誌に助けられた。

「草野心平研究」第5号(2003年11月)で年譜作成委員会が、既成の心平年譜は「基本的に心平の自筆と口述に基づき、若干の資料に当って作成されたものである。間違い、勘違いの類は壮大多数、実証的研究には役立たない部分が多い」と書いた。心平自身もそれを認めていたという。

つまり、心平について調べようとすると、当時の新聞記事や関係者のエッセーなどを基に、事実はこうだった、誤称・誤記がおきたのはこういう理由からだったと、自分で裏を取る作業が必要になる。

全集や文学館の図録年譜には、昭和21年9月、上小川村江田の渓谷「セドガロ」を「背戸峨廊」と命名し、点在する滝や沢に「三連滝」や「猿の廊下」などとそれぞれの名を付ける――とあるが、実際には昭和22(1947)年10月のことだった。

終戦から2年後の同22年10、11月、中国大陸から引き揚げ、生家で暮らしていた心平が、地元の青年会員らと江田川に入渓する。それが“原点”。

 それともう一つ。深澤さんは心平の詩の道程について、『草野心平研究序説』では①習作期②自立期③開花期――としている。それを踏まえた心平の生涯については、幼少年期・青年前期のあと、Ⅰ青年期~Ⅱ怒涛期~Ⅲ開花期(1)~Ⅳ開花期(2)~Ⅴ爛熟期~Ⅵ充溢期~Ⅶ玄の時代~Ⅷ大団円、という流れを構想していた。なるほど。

 ほかには、深澤さん撮影の川内村・天山祭りや東村山市の自宅での心平の写真などが展示されている。研究者・理解者として心平と深く交流したことがうかがえる貴重な資料といってよい。

2021年10月12日火曜日

花を眺めて気持ちを鎮める

        
 カレンダーが10月に替わったとたん、外出が増えた。第2週に続いて、第3週もほぼ毎日、予定が入っている。

 きのう(10月11日)は、手帳やカレンダーでは祝日の「スポーツの日」だが、すでに東京オリンピックの開会式に合わせて7月23日に移動した。普通の月曜日に切り替わった。とはいえ、どうしても赤い数字に気持ちが引っ張られる。それを現実が引き戻す。

 午前中は、中央公民館の市民講座「明治前期、地域における建言や新聞投書――地域民衆の言論活動とその成長」を受講した。

コロナ禍で5月スタート予定が1カ月遅れ、7月に2回目が開かれたところで感染が拡大したことから、会場の文化センターがまた休みに入った。結局、3回目は3カ月ぶりの開催になった。

10月に入っても暑い日が続く。朝晩は長袖が必要だが、日中はそれだと汗がにじむ。午後は2時半ごろ、市役所へ出かけた。国道399号(旧国道6号)沿いのデジタル表示計は、気温が32度を示していた。むろんきのうは朝から半袖だった。

役所へ行ったのは、「ごみ散乱防止用ネット」の申請・配布初日だったからだ。8月下旬に隣組を通じて、市の回覧文書を配った。新型コロナ感染拡大を防ぐ一環ということだった。

個人でも区内会でも申請できる。となると、人は自分の裁量で動く。市に直接申請する人がいる。区内会に申請を任せる人がいる。

個々に申請してください、あるいは区が一括して申請します――どちらかでいくしかない。わが区は一括申請をすることにして、その旨、回覧チラシをつくって各隣組に回した。

役所に足を運んで必要な書類と集積所マップをもらい、現況を調べて準備をすませ、1台の車では積みきれないので、副区長と2台で出かけたのだが……。

ごみネットはこの日予定の枚数がなくなったらしく、あとで連絡するという。そのうえ、1カ所、すでに取りに来たところがあるという。一括申請の回覧を配っても独自に動く人はいる。

隣の窓口でも同じことが起きていた。「ここはもう取りに来たようです」。区長さんは「一括でやると決めていたのに」。市の回覧文書がどっちでもいいようなあいまいな表現だったのが原因、という指摘に同意しながらも、空戻りするむなしさはどうしようもない。

 私はいつものように夏井川の堤防を通って帰った。新川との合流部にハクチョウがいたら、今季初飛来の確認ということで気持ちが晴れるが、この暑さでは飛び回るはずもない。

 結局、家に帰って庭のホトトギスの花=写真=を眺めて気持ちを鎮めるしかなかった。

 今朝は起きると曇天、風が冷たい。吉野せい賞選考結果発表のために市役所の記者クラブへ出かけるころには、雨になっているだろう。