2011年8月10日水曜日

三陸津波研究


いわき総合図書館へ行ったら、新着図書コーナーに山口弥一郎の『津波と村』(三弥井書店)=写真=があった。帯に<1933年の三陸大津波による集落移動を分析した地理学と民俗学の狭間に生きた著者60年に及ぶ研究成果の集約>とある。3・11を経験して「名著」が再び日の目を見ることになった。

山口弥一郎とくれば、磐城高女、磐城民俗研究会だ。地理の教師として磐城高女に赴任し、昭和10(1935)年9月、柳田國男門下の高木誠一(北神谷)、同僚の岩崎敏夫、高木の甥の和田文夫(四倉)らと「磐城民俗研究会」を創設する。

山口はその年の師走、昭和8(1933)年3月3日に発生した「昭和三陸津波」による村の荒廃、移動調査を始めた。学校の冬休みを利用しての旅だったろう。数次にわたる現地調査のあと、戦時下の昭和18(1943)年、柳田のアドバイスで一般人向けの『津波と村』を出版する。「名著」とはこの本を指す。68年ぶりの復刊だ。

和田文夫も山口の要請を受けて三陸へ調査に入っている。<両石の漁村の生活>を担当した。山口は記す。「昭和十五年には民俗研究の學友である磐城の和田文夫君を岩手へ呼び、三陸海岸一巡の途、特に一日両石の民俗採集を依託した。これは柳田國男氏指導の下にある民間傳承の會が、特に漁村の生活研究資料採集の為作った手帖によった」

山下文男の名著『哀史三陸大津波――歴史の教訓に学ぶ』(河出書房新社)も、山口の本と同様、今年6月に“復刊”された。山口の『津波と村』を重要な引用・参考文献としている。住民の安全のために、という視点で響き合っている本だ。

両方の本を読んで、遠い日、防災面から三陸の津波調査を続けた“いわき人”がいた――ということに、なにか誇らしいものを感じるのだった。

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