2011年8月8日月曜日
平七夕まつり
昔の職場から電話がかかってきた。8月6日に元同僚の退職歓送会をやるという。「3・11」が起きたために、3月末開催の予定が今にずれこんだ。久しぶりに飲み屋街の田町でOB、現役と再会した。
6日は平七夕まつり=写真=初日(8日まで)。夕方、飲み会の前に本町通りの笹飾りの下を歩いた。いや、「笹飾りの下」というのは正確ではない。空が見えないほど笹飾りで埋めつくされる、というのは大げさだが、去年までは笹飾りがしのぎをけずっていた。それが、ない。ポツリ、ポツリ、である。
後輩が営んでいる花屋に入る。「今年は、飾りが少ないなぁ」と私。「飾りは少ないけど、人は出ている。夕方になって多くなった」と彼。確かに、本町通りは行き交う人間でごった返していた。家族連れも、グループも若い世代が多かった。「祈り、そして復興への願いをこめて」が今年の七夕まつりのテーマだという。
七夕まつり2日目のきのう(8月7日)夕方、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の1階に焼酎(田苑)を買いに行く。市内で一番安い。<命の水>がなくなると調達しなくてはならない。それをずっと続けている。空き瓶回収の日は、わが家から一升瓶が何本も出る。カミサンは「恥ずかしい」とひとりごちる。
周囲の通りは、前日より人が出ていた。なんだろう、この多さは。3・11以来、尋常ではない日が続いている。夏祭りはそもそも尋常ではない。「ハレの日」だ。しかし、尋常ではない日がイコール「ハレの日」ではない。「ハレの日」くらいは気分を変えたい、ウジウジ、グズグズを忘れたい。そんな心理がはたらくのかもしれない。
別の言葉でいえば――。まつりは、つまり伝統は人々に記憶が共有されているからこそ再生産される。平時であれば普通に共有されるまつりの記憶が、今年は3・11を経験して違うものになった。飾りは小規模でも特別のまつりだ、群衆のなかに身を置いてその記憶を体に刻みたい、そんな思いに駆り立てられるのだろうか。
日曜日夜の定番、カツオの刺し身で晩酌を始めたころ、いわきで生活支援活動を続けているNGOのシャプラニールのスタッフがやって来た。「これから七夕を見てくる」という。いわきの一大祭りを体験するのも大切だ。被災者と記憶を共有するためにも。
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