2011年8月29日月曜日

踏みにじられた願い事


菅さんはなにしに福島へ来たのだろう。「フクシマ」にしてしまった「謝罪」に名を借りた、「切り捨て御免」のお使いだったのか。

福島民報によると、放射性廃棄物の中間貯蔵施設を福島県内に設置したい、放射線量の非常に高い地域については除染後も住民の帰宅・居住が困難な地域が生じる――これを知事に告げた。ここまで冷たくなれる人間だったのだ、彼は。

同紙から県民の反応を二つ。「辞める人がふらっと来て、言い放っていくとは」(双葉町から愛知県に避難中の町民)「最後の最後に、一番言いにくいことを言いに来た。後は官邸から逃げ出すだけ」(県幹部)

一人ひとりの人間の心など眼中にない。ただただ前から決まっていた国の方針にしたがって、官僚のダミーとなって「宣告」したにすぎない、としか思えない。

ここからは、きのう(8月28日)のブログの続き。菅さんが来県した27日、原発と向き合ういわき(つまり、ほんとうは東京の、だ)の「北のトリデ」、いわき市久之浜町で「奉奠(ほうてん)祭花火大会」が開かれた。

辞める人がふらっと来て、言い放っていたころ、久之浜のイベント会場では、子どもや大人がこんな願い事を書いていた=真。「早くならはにかえれますように」「早く浪江に帰れますように。」「安心して広野にもどりたい」「富岡のみんなとバレーがしたい」。みんな原発のある双葉郡から避難している人たちだ。

人の心に寄り添えなくなった、ぬけがらのような政治家には、こうした切実な願いは届かないだろう。ましてや、「行方不明の母が早く見つかりますように。豊間の復興!!」「ばあちゃんが早く見つかりますように。がんばっぺ!!豊間」、こういう人たちがいわきにいることも。

「取り残す政治」が立ちあがってきた。怒りがわいて我慢がならない、悲しくて涙も出ない――そんな心境の人が「フクシマ」には満ちみちているのではないか。

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