2011年8月21日日曜日
流灯花火大会
夏井川流灯花火大会がきのう(8月20日)夜、平・鎌田町で行われた=写真。週末に向かって天気が崩れ、急にひんやりした。曇天だ。流灯大会の時間まではまだよかったものの、花火大会が始まると同時に、雨がポツリ、ポツリと落ちてきた。でも、花火が湿ることはなかった。河原も、堤防も、橋上も人であふれた。若い親に連れられた幼子がいっぱいいた。
夏井川の流灯花火大会は、川施餓鬼供養がルーツだそうだ。大正5(1916)年、鎌田山にある弘源寺の住職が、夏井川の氾濫による水難犠牲者と遊泳犠牲者を弔うために始めた。それを、2年後に鎌田町青年会が引き受け、何十年もたったあとの21世紀に入って、地元の区内会が引き継いだ。今年で93年目というアナウンスがあった。
区内会の資料によると、旧平市時代は平の夏祭りの最後を飾るイベントとして盛大に行われた。14市町村が合併していわき市が誕生すると、補助がなくなる(ゼロになったのかどうか)。その後、バブル崩壊も重なって有力老舗が次々に姿を消し、資金的に窮迫して花火大会が中止になった。今は実行委員会が組織され、花火大会も復活した。
第一部の流灯大会は午後6時の川施餓鬼供養で始まった。7時からじゃんがら念仏踊り、笠踊り、梅ケ香盆囃子が披露された。第2部の花火大会はそのあと。8時半まで45分の間に、およそ5000発の花火が夜空を彩った。旧国道の平神橋には人があふれ、花火が夜空を燃やすたびに歓声があがった。
今年はどこの夏祭りもそうだが、震災・津波の犠牲者を追悼し、風評被害や原発事故に負けずに復興へ向かっていこう――という願いが込められている。天高く咲いた夜の花を、天上にいった人たちも見ていたことだろう。
平地区の住民にとって、夏井川流灯花火大会は夏から秋へと気持ちが切り替わっていく節目のイベントだ。日をおかずして、子どもたちの夏休みも終わる。今年は少しひんやりした空気に触れて、よけいになにかが変わっていかなくてはならないような感覚に襲われた。
原発に脅かされる「非日常」が続く。としても、より強く「日常」を意識して暮らすのだ、「正気」に戻るのだ――。変わっていかなくてはならない中身なんて、そんなものでしかないのだが、そこが難しい。
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