2011年8月9日火曜日
立秋
まるで5月のような感じだった。きのう(8月8日)早朝、いつものコースを散歩すると、ガス(霧)が広がっていた。濃霧というほどではない。が、夏井川の対岸が霧でうすぼんやりしている。立秋だというのに、なんだろう。
3・11以来、睡眠時間が不規則になった。熟睡ができなくなった。もっとも、熟睡できるほどの体力がないことにもよるが、グラッとくると目が覚める。そのあと、寝ようと思っても寝られない。で、散歩の時間が早くなる。その分、日中は小刻みに昼寝をするようになる。いやな習慣だ。
その散歩から戻って新聞を開く。朝日は1面題字わき、日付と天気予報の間に「立秋」の文字。福島民報は、例年だと写真付きで立秋であることを告げる記事が載るはずだが、前日も、当日もない。1面コラム「あぶくま抄」が立秋をテーマに書いているだけ。夕刊のいわき民報は、立秋自体を忘れたか。
新聞には季節の移り行きを伝える義務がある。地域社会は人間だけで成り立っているわけではない。自然があって、人間がいて、その交通のなかで生産と生活が営まれている。そう考えている人間からみると、この「二十四節気」に対する認識の軽さはなんだろう。
3・11以後、新聞社に季節ものを盛り込む余裕がなくなったのか。もっとも、夜7時になって、NHKはニュースで「猛暑日」の立秋を取り上げたが。
夏至からおよそ1カ月半。朝5時前に目が覚めると、以前とは違って薄暗さを感じるようになった。季節はやはり、ひとつ次に移りつつある。
夏井川渓谷ではもうオミナエシが咲いている。カワラナデシコ=写真=も花をつけていることだろう。平地の中神谷でも夕方になると、ヒグラシの澄んだ声が響く。夏鳥のオオヨシキリはとっくに南へ去った。今朝は夏井川の堤防で今年初めて、エンマコオロギの声を聞いた。
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