2011年8月15日月曜日

酷暑のお盆


おととい(8月13日)、きのうと酷暑のなかで新盆回りをした。失礼したところもある。きょうはこれから田村市の実家へ帰る。昼に父親の23回忌が行われる。夕方には帰宅して、中神谷南区の精霊送りのための祭壇づくりに参加しなければならない。16日早朝には区民から精霊を受け取り、収集車が来たら片づける、といった段取りになっているのだ。

いわきだけで震災・津波で亡くなった人は308人、行方不明者は39人。死者を供養する「じゃんがら念仏踊り」は、お盆になくてはならないいわきの伝統芸能だ。青年会のメンバーは今年、特別な思いで「じゃんがら」を演じていることだろう。

庭では朝から蝉時雨がやまない。盆の入りの早朝、ちょっとした仕事をしたあと、蝉時雨にへきえきしながら横になった。

午後も、ネコと同じようにぐたっとしていたら、北茨城市の実家へ帰省した後輩が訪ねてきた。3・11以後、やっとつながったという感じで安否を気遣う電話が入った。それ以来だ。平のオジの新盆回りのついでに、「カラ元気」を装う人間を確かめに来たのだった。

きのうは朝、新盆回りの途次、平下荒川のネクスト情報はましんで林和利個展を見た(16日まで)。

突然、個展の案内状が届いた。はましん社員としての仕事に忙殺され、四半世紀余にわたって表現活動を中断していたのが、3・11を経験して変わった。封印していた創作への思いがわきあがってきた。胸の底から突き動かされるようにしてプランを練った。

床を3月のカレンダーに見立てて、そこに沈みこむ紙袋を配した。それが基本。ほかにも、廊下の壁面を利用してドットと数字を組み合わせた紙の作品を掲示したり、暗くした部屋に光を放つ作品を配したりと、林君は工夫を凝らしている。震度・線量・死者数・避難日数……。数字の受け止め方は人それぞれだろう。

時間的な断絶はあっても、創作上の断絶はなかった。本人にとってはすんなり28年前の延長上で作品をつくることができたという。

大震災・津波・原発事故。今まで経験したことのない不安、無力感に襲われたとはいえ、人間にはそれに押しつぶされない力もまた備わっている。存在の危機にこそアートを胸に宿した人間は創造的な仕事をする。自分を救出するのは創作しかないのを知っているからだ。自分を救えない作品はそれを見る他人をも救えない。林君の話を聞きながら、そんなことを思った。

3月のカレンダーの隣には、寒冷紗?いや不織布?を張り、ところどころに紙コップを配して数字の映る光を当てたものもあった。床には紙コップが並べられている。というより、林君の指示で若い人が並べているところだった=写真。午前9時15分オープンになっても、しばらく作品づくりが行われていたわけだ。

紙コップもまた「沈み込む」ことを企図したものだというが、浮遊感がないでもない。「浮き上がる」という見方をする人もいるという。あふれるアイデアを抑え、鎮めながらも、結構多彩な展示構成になった。

林君のインスタレーションに沈潜したあと、新盆回りを終え、カミサンの実家で一休みをした。夕方帰宅すると、「じゃんがら念仏踊り」の鉦の音がする。今年、近所の新盆家庭は2軒。早速、近所からギャラリーが集まる。これが、いわきのお盆の光景なのだ。

じゃんがらを見ると、気持ちが落ち着く。<さあ、きょうも晩酌を始めるか>となったとき、林君の個展は彼なりの震災犠牲者に対する新盆供養という意味合いがあるのかもしれない、という感覚に襲われた。

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