2011年8月19日金曜日

ひ孫たち


お盆に田村市の実家で母親の7回忌が行われた。最初、連絡がきたときは「おやじの23回忌」だった。そういえば去年9月、秋分の日あたりに父親の23回忌をするから、という連絡があった。それを思い出した。同級生との台湾旅行と重なったので、23回忌はパスしたのだった。

その意味では今年、母親の7回忌と合わせて、1年遅れで父親の23回忌を行ったようなものだ。(前のブログに父親の23回忌と書いたのは間違い。兄貴の勘違いと私の確認ミスだった)

墓地は東の町はずれにある。小高い山の斜面が何段にもならされ、長い時間をかけて墓の団地ができた。新しい家の墓ほど空に近い。急斜面の参道をハアハアいいながら登っていくことになる。

3・11にすぐ上の墓から墓石が降ってきた。わが家の墓石を直撃した。わが家の墓石はなぜか倒れないで逆さまになっていた、という。

親戚に石屋さんがいる。高齢なので引退同然の身だが、わが家の墓だけは直してくれた。いわきの墓地と違って、倒れたままの墓石はない。数が少ない分、修理も早く済んだのだろう。大工さんが修理を代行して喜ばれたという話も聞いた。

故人はどちらも大正4(1915)年生まれだから、生きていれば95歳。4人の子どもは70~50代、その子ども(孫)たちは40~30代、さらにその子ども(ひ孫)たちは中3を筆頭に2歳まで11人いる。うち2人はドイツ人の血を引く。

ひ孫が中心の集まりになった。実家に近い郡山や須賀川に住む姪夫婦と子どもたちが一堂に会した。チビどもは台所の食卓に陣取り、大人たちは和室の座卓を囲む。話はもっぱら3・11の体験談に終始した。

中通りの人間は、テレビを通じて浜通りの津波被害を承知している。が、自分の目で確かめたわけではない。フクシマの惨状を、同じ福島県人として心に刻み、共有するために、「一度、いわきのハマを見ておくといい」と、姪の夫に勧める。原発と向き合う「いわきの北のトリデ」久之浜で3・11を振り返る――きっと得るものがあるはずだ。

精進あげを終えて、盆踊りのやぐらが立つ田村市常葉行政局前広場(駐車場)へ出かけた。ゴーカイジャーとの握手会、いわきの歌手紅晴美さんのショーその他、昼からイベントがめじろ押しだという。久しぶりに人垣を見た=写真。活気のある声に包まれた。ふるさとは元気だ、と思った。

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