2012年11月27日火曜日

濡れ縁の効用


夏井川渓谷にある無量庵の縁側は、前には幅が30センチ程度だった。3年前の初冬、いわきで大工をやっている中学校の同級生に頼んで、幅1・5メートルほどの濡れ縁に替えた=写真。そこに座って目の前の渓谷林を眺める、というのが狙いだった。

ところが、無量庵へ行けば雑仕事がある。庭の片隅に菜園をつくって以来、行くたびに草引きをする。生ごみを埋める。家の周りをチェックする。森を巡る。濡れ縁に座って対岸の林を眺めながら、<ああ、きれいだ>などと陶然とする時間はほとんどない。

が、濡れ縁にした効果はあった。布団が干せる。だれかが来たときに、そこで語らうことができる。夜にはテンなどもやって来る(ふんがあるので分かる)。

留守の間にやって来て、濡れ縁で一服する知人がいる。11日の日曜日に実施された夏井川渓谷紅葉ウオーキングフェスタで、私らと一緒に案内人を務めた学校の元校長先生。「留守のときでもここで休ませてください」「どうぞ、どうぞ」。留守のときが多いのだ。濡れ縁が広くなったからこその“縁”だろう。

きのう(11月26日)は、わが家にカミサンの知人が来て似たような話をしていた。夏井川溪谷へ紅葉を見に行ったとき、無量庵の濡れ縁で一休みしたのだとか。「どうぞ、どうぞ」。私らを知っているだけに、瞬間的ではあっても臨時の管理人になってくれる。なにかあれば連絡がくる。

むろん、そうではない人たちも入ってくる。たばこの吸い殻やごみがあるので、それとわかる。「来たときよりきれいにして帰る」なら、どなたでも歓迎だが、現実にはそうはならない。そこが悩ましい。

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