2012年11月7日水曜日

遺跡を守る人たち


「アンコール遺跡群は、組織的盗掘と国境を越えた密売ルートによって日常的に切り崩されている。カンボジアでは、クメール文化の切り売りは、いまや一つの『産業』となっているのだ!」。報道写真家三留理男さんの『悲しきアンコール・ワット』(集英社新書、2004年刊)を読んで暗澹たる思いになった・。

「東洋のモナリザ」と評される女神群の宝庫、バンテアイスレイを訪ねたときのことだ。ひととおり遺跡を見て外側を戻りかけると、刈った草を集めている女性がいた=写真

この欄で何度も書いていることだが、「自然を守れ」というとき、それは「自然に手を入れるな、さわるな」ということではない。自然を利用しながら、自然を守ってきた農村・山村のあり方が持続的社会のひな型なのだ、という思いがある。だから、遺跡もまた現状を保つためにはわれわれの暮らしと同じで、草刈りから始めなければならないのだ。

趣味としての農(家庭菜園)がそう、業としての農もそう。自然から収奪するだけなら、とっくに農山村は滅びている。そうではなくて、山里なら季節の実り(春の山菜、秋のキノコ・木の実)が循環するなかで暮らす、その最初の一歩が草刈りといってもいい。

いつものことながら、ただの観光旅行にすぎなかったのが、帰ってきて本を読んだり、考えたりしているうちに、見えてくるものが違ってくる。

あの文豪アンドレ・マルローも女神像をはがして国外へ持ち出そうとして逮捕された。それほど「東洋のモナリザ」には尽きせぬ魅力がある。現地でガイドから聞いたマルローの話は、しかし氷山の一角に過ぎなかった。

遺跡を守る人間がいる一方で、略奪する人間がいる。アンコールの遺跡群は「昔もいまも、昨日も今日も盗まれ続けている」。

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