2016年7月17日日曜日

モミの大木

 夏井川渓谷の隠居の隣は電力会社の社宅跡だ。駐車場を兼ねた広場になっている。谷寄りの南東隅、隠居との境に大きなモミの木がそびえている=写真。木の下に行くと、決まって田村隆一の詩を思い出す。震災と前後するように河出書房新社から『田村隆一全集』(全6巻)が刊行された。総合図書館から借りて読んだ『全集2』のなかに「木」が入っていた。
 
 木は黙っているから好きだ
 木は歩いたり走ったりしないから好きだ
 木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
 
 ほんとうにそうか
 ほんとうにそうなのか
 
 見る人が見たら
 木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
 木は歩いているのだ 空にむかって
 木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
 木はたしかにわめかないが
 木は愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
 枝にとまるはずがない
 正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
 空にかえすはずがない
 
 若木
 老樹
 
 ひとつとして同じ木がない
 ひとつとして同じ星の光りのなかで
 目ざめている木はない
 
 木
 ぼくはきみのことが大好きだ

 隠居の対岸に水力発電所がある。昔は何家族かが社宅に住んで、発電所の保守点検、維持補修などをしていたのだろう。V字谷のなかでもゆるやかな斜面を削り、石垣を組んでならし、社宅が建てられた。おそらく一番谷寄りの家の主がモミの苗木を植えたのだ。
 
 石垣の下の道を通るたびに、空に沈むように伸びているモミの木を見上げる。森のなかの巨樹と違って、広場でひとり孤独を楽しんでいる。そう感じられるようになったのは、田村隆一の「木」を知ってからだ。木の愛と正義に関する詩人一流の「へ理屈」にうなってからだ。
 
 思えば、原発事故では多くの家の庭木が伐採された。わが生活圏だけでも、街への往復のたびに目にした国道6号沿いの「塩の大ケヤキ」が消えた。近所のカキの木が消えた。街なかの知人の庭のケヤキも消えた。狂暴化した台風・低気圧の影響もあるが、原発事故が追い撃ちをかけた。見る人が見たら、森の木々も原発事故をうらみ、嘆き、のろっている。

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