2016年9月13日火曜日

三町目の路地売り

 前に、いわき市の中心市街地、平・三町目の商店街で始まった「三町目ジャンボリー」についてこんなことを書いた。
「今、商店会の若手が中心になって月に1回、『三町目ジャンボリー』を行っている。アート系のイベント『玄玄天』も三町目を中心に展開中だ」(2015年11月11日)「三町目に『猪狩ばあさん』ならぬ若者が数軒、戸板ならぬテントを張って商店街に活気を呼び込もうとしている。毎月第2日曜日に開催するようになって6回目。若い知人は『雨ですけど、今回が一番人が出ています』といった」(2015年11月9日)

 三町目ジャンボリーは、新しいかたちの「路地売り」だ。一方通行の本町通り商店前に、手づくりのパンや靴、工芸品などを展示・販売するブースが並ぶ。おとといの日曜日(9月11日)は、カミサンが初めて出店し、<フェアトレード&ブロカント(美しいがらくた)>という名前で、シャプラニール=市民による海外協力の会が手がけているバングラデシュやネパールの手工芸品などを展示・販売した。

 引用文中の「猪狩ばあさん」とは大正初期、三町目二番地の洋物屋「十一屋」前の路上で種物売りをしていた、好間・川中子(かわなご)のばあさんのこと。磐城平に伝道師として赴任した詩人山村暮鳥は、店の大番頭さんと昵懇(じっこん)の間柄になった。ある日、暮鳥と「猪狩ばあさん」が話をしていたと思ったら、おかしな詩ができた。
 
「と或る町の/街角で/戸板の上に穀物の種子(たね)をならべて売つてゐる老媼(ばあ)さんをみてきた/その晩、自分はゆめをみた/細い雨がしつとりふりだし/種子は一斉に青青と/芽をふき/ばあさんは顰め面(づら)をして/その路端に死んでゐた」(「穀物の種子」)。大番頭さんから詩を見せられたお手伝いさんたちは、夢で「猪狩ばあさん」を死なせてしまった暮鳥の大胆さにふき出した。

「フェアトレード&ブロカント」は「もりたか屋」さんの軒下を借りた。午前10時に荷物の搬入を手伝い、夏井川渓谷の隠居で折れた桐の木の枝払いをしたあと、午後3時前に会場へ戻った。4時の搬出まで1時間余り、三町目の一時滞留者となって、道行く人やブースを眺めた=写真。

 同店の右斜め向かい、更地になっているところに十一屋があった。幕末には旅宿も兼ねていた。21歳の新島襄が函館からアメリカへ密航する前、磐城平の城下に寄ってここに泊まっている。

 不破俊輔・福島宜慶著の歴史小説『坊主持ちの旅――江(ごう)正敏と天田愚庵』(北海道出版企画センター、2015年刊)にこうある。「藩の御用商人である十一屋小島忠平は正敏の親戚である。小島忠平は平町字三町目二番地に十一屋を創業し、旅館・雑貨・薬種・呉服等を商っていた。その忠平はかつて武士であった」

 愚庵は正岡子規に影響を与えた元磐城平藩士の歌僧。正敏はその竹馬の友で、明治になって北海道へ渡り、一時はサケ漁業経営者として成功した。愚庵に「江正敏君伝」がある。

 幕末、明治、大正とその都度異なる「物語」を刻んだ三町目二番地だが、今回はとりわけ「猪狩ばあさん」の気持ちになって、現代の路地売りに立ち会った。旧市街はどこも閑散としている。そうであっても、三町目には商店会としてのやる気と結束が感じられる。さすがは平七夕まつり発祥の地だと、一時滞留者は勝手な感慨にふけるのだった。

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