別所真紀子『詩あきんど其角』(幻戯書房)=写真=を読んでいたら、磐城平藩の殿様や家臣の名前が出てきた。殿様は内藤風虎。「俳諧大名」だ。殿様にはなれなかったが、息子が藩主に就いた風虎の次男・露沾、そして“社長”の影響で俳句に手を染める“部下”たち――江戸時代中期の磐城平藩は“俳諧王国”だった。
とりわけ露沾は若くして“隠退”させられたたこともあって、風雅の道に遊び、芭蕉や其角たちと交遊した。パトロンでもあった。
芭蕉が故郷の伊勢へ里帰りをする際、露沾の屋敷で餞別の句会が開かれる。其角亭でも同様に句会が開かれる。其角亭での歌仙(連句)冒頭――芭蕉が「旅人と我名よばれん初時雨」と発句を詠み、由之が「亦さざん花を宿々にして」と脇をつけた(「笈(おい)の小文」)。
『詩あきんど其角』を読みながら、26年前、きょうのタイトルと同じ「井手由之という人」という見出しで由之について書いた拙文(新聞コラム)を思い出した。「由之は磐城平藩主内藤氏の家臣、井手長太郎とみられている。小名浜の出身らしいがきちんとした証明はまだなされていない」「研究が進んでいる露沾はともかく、三百三年前(注・今だと329年前)の由之を知る旅も、これから必要になろう」
この26年の間に、由之について発表された論考は寡聞にして知らない。研究者の成果を待つだけの身としては、由之についての知識は26年前と少しも変わっていない。時間だけが過ぎた。新出史料がなかったということだろう。
ついでながら、露沾の嗜好について――。『詩あきんど其角』で、露沾は「脇息(きょうそく)にもたれながら右手で煙管(きせる)を差し向けてゆったりと口を切った」と、たばこ好きのように描写される。実際は逆で、たばこ嫌いだった。で、たばこ好きの芭蕉は露沾邸に招かれると、公に遠慮してたばこを吸わなかった、というエピソードが残っている。ま、小説だからかまわないか。
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