2017年2月9日木曜日

6年ぶりに猫が飼い主のもとへ

 カミサンに会いに来たのだが、あいにく出かけていない。留守番の私では、したい話もできない。でも、伝えずにはいられなかったのだろう。「リンちゃんが戻って来ました。夫が“捕獲”しました」。リンちゃんとは震災前、わが家を経由してその家にもらわれていった猫のことだ=写真。ほぼ6年ぶりに“同居”が復活した。
 ご主人は広野町で歯科医院を営んでいた。3・11で自宅が「大規模半壊」の判定を受けた。津波も床下まで来た。そのうえ、原発事故で広野町は全町避難を余儀なくされた。リンちゃんは家を飛び出したまま。家族全員が避難民になった。すぐ空き巣に入られた。

 広野町は緊急時避難準備区域に指定されたがほぼ半年後には解除され、役場も1年後にはいわき市から町に戻った。ご主人は避難先の東京で仕事を始め、今は福島市で歯科医院を営んでいる。2年半前の2014年7月には町から請われて、3年4カ月ぶりに広野で歯科医院を再開した。休診日(木曜日)に福島から通っている。今は週2日になった。

 奥さんと子どもたちは東京暮らし。原発震災から間もなく6年。長女は結婚し、子どもも生まれた。それだけの時間が経過したが、「家族はバラバラのまま」だという。奥さんは東京と福島市、広野町、いわき市を行き来している。いわきはご主人のふるさとで、実家は津波で流された。さいわい親は無事だった。
 
 リンちゃんはこの間、広野の近所のお年寄りが面倒をみていた。そのお年寄りが入院した。で、ご主人がリンちゃんを保護して福島へ連れ帰った。写真は、右がもらわれていった直後の2011年1月、左がそれから6年余りたった、きのう(2月8日)のリンちゃんだ。奥さんが撮影して持ってきた。きのうは長い間、カミサンと話し込んでいた。
 
 奥さんは古布に興味を持っている。カミサンが古裂れなどを扱っている。ときどきお茶飲み話をしにわが家へやって来る。ご主人は沖釣りが趣味で、夏にはスズキが届いた。毎回、行きつけの魚屋さんに頼むわけにもいかないので、おろして刺し身にすることを覚えた。それも、原発事故後は絶えた。

 原発震災は、それまであったいろんな「つながり」を断ち切った。回復・再生し、新たなつながりができたものもあるが、喪失感は今も深い。そのなかでの、リンちゃんとの6年ぶりの“同居”の知らせだ。家族の間では一筋の光だったにちがいない。私たちがそうだったように。(おや、けさは雪だ。リンちゃんも窓辺から雪をながめていたりして)

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