おととい(2月5日)、中央台公民館でいわき昔野菜フェスティバルが開かれた=写真。家庭菜園を営んでいる市民を中心に70人ほどが参加した。スタッフを加えると100人は超えただろうか。
今度で7回目といいたいところだが、6回までは市が主催した。今回は事業を受託してきた企業組合が事務局になり、市民団体の「いわき昔野菜保存会」が主催した。
原発震災をはさむこの6年の間に、昔野菜(在来野菜)の栽培者(生産)~料理人(加工)~市民(消費)のネットワークが生まれた。種(たね)をもらっていわき昔野菜を栽培する消費者も増えた。
いわきの食文化に新しい光がさしつつある、行政と市民の協働が着実に根づきつつある、という確信をいだきはじめたところへ、次は経済団体によるビジネス化だと、市は事業の“ステップアップ”を打ち出した。せっかくできた協働の芽を枯らすわけにはいかない。市民の手で種を次世代に伝える活動を継続することにした。
生産~加工~消費のネットワークは震災を危機バネに、調査スタッフが現場で生産者と向き合い、信頼関係を築いてきたからこそできあがった。そのネットワークが生きた。
フェスティバルの中身はこれまでと変わらない。午前10時から午後3時半まで、昔野菜を使った昼の弁当タイムをはさんで、みっちり「座学」が展開された。生産者による栽培講座、江頭宏昌山形大教授による講演、種自慢の座談会と続き、参加者と生産者の間で熱心な質疑応答が続いた。受講者は自分でも家庭菜園を営んでいる「プロシューマー」(消費者にして生産者)が多かったように感じた。
私も弁当に出た「のっぺい汁」(はちはい)や、いわき一本太ネギなどの解説を兼ねて、「在来野菜と伝統郷土食」をテーマに15分ほど話した。
行政がまいた種は確かに芽生えた。花が咲き、実がなって、採れた種は市民の間に広がった。種を切らしたら、その栽培技術も食文化も消える。この一点だけでも、昔野菜を保存・継承する意義がある。それを再確認したイベントでもあった。
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