2017年2月18日土曜日

公民館の講座終了

 10月から小名浜公民館で5回、11月から神谷(かべや)公民館で4回、おしゃべりをした。昔の地域紙の記事を材料に、いわきの明治~大正~昭和を振り返った。時系列的にいえば、明治の「鈴木製塩所」(小名浜臨海工業地帯の先駆け)、金子みすゞと二つの「巨星」と評された童謡詩人島田忠夫、いわきの関東大震災、戦闘機献納、セドガロ(背戸峨廊)の由来、いわきの新聞に連載された絵物語月光仮面などを取り上げた。
 9年前の平成20(2008)年1月5日、いわき地域学會の初代代表幹事・故里見庫男さんらによって、常磐に野口雨情記念湯本温泉童謡館がオープンした。会社をやめて2カ月ちょっと。里見さんに誘われてオープニングイベントを手伝った。それから間もなく、里見さんから「童謡館で月に1回、文学教室を開いてほしい。最初は金子みすゞ、あとは自由」と宿題を出された。
 
 会社をやめるのと、いわき駅前に再開発ビル「ラトブ」がオープンするのが同時だった。ラトブには総合図書館が入居している。そこへ日参してみすゞを調べ、さらに師匠の西條八十、八十の弟子のサトウハチロー、あるいは工藤直子、竹久夢二、野口雨情、山村暮鳥などを調べて、連続15カ月おしゃべりをした。

 その過程でいわきの「大正ロマン・昭和モダン」が見えてくる実感を得た。以来。今もそれを追い続けている。

 おととい(2月16日)、神谷公民館の講座の締めくくりに選んだのは、大正ロマンでも昭和モダンでもない、昭和48(1973)年5月29日に発生した炭鉱の坑内火災事故。

 4人が亡くなった。うち1人は福島県文学賞を受賞した歌人。同じヤマ(炭鉱)の文学仲間・俳人結城良一さんは九死に一生を得た。短歌と俳句、あるいは詩、さらにはノンフィクション作家真尾悦子さん(1919~2013年)の作品『地底の青春』を通して、いわきの<炭鉱と文学>について話した。

 結城さんとは坑内火災の半年前に知り合った。事故のあと、無事を確認した。文学仲間の霊前に手を合わせるところを写真に撮って、記事にした=写真・左。
 
 坑内火災を詠んだ一句、「鼻の汗レールにこすり脱出す」。炭鉱仲間でもある俳人の解説で初めて緊迫した状況を理解する。煙が充満する中、「鼻をレールに擦り付けるほど、腹這いになって、脱出する決死のさまが生々しい。そして蒼白の顔々が、迫真の圧力で眼前に迫って来る」

この句を知ったのは、事故から33年後の平成16(2004年)に第二句集『弥勒沢』の恵贈にあずかったときだ。

「坑出づと死者に告げたる遅日かな」。坑内で死者が出た場合、たんかの死者に坑内の辻々で鐘を鳴らし、「いま〇×を通過」と死者に知らせる習わしがあったそうだ。この句も坑内火災の一断面を伝える。
 
 歴史のなかに埋もれている個人の営み、生と死を掘り起こして、光を当ててみる。震災、戦争、大事故の一断面が生々しく浮かび上がってくる。大局・全体だけでなく個別・具体の視点を忘れてはならない、と思う。

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