「いわき昔野菜」が市民に認知されたのは6年前。3・11前に発掘・調査事業が始まったことが、今となっては大きな意味を持っている、と私は思っている。震災後なら、日の目をみなかったかもしれない。
平成22(2010)年度から27年度まで、いわき市が①在来作物の発掘・調査②展示・実証圃(ほ)での栽培③フェスティバルの開催④在来作物に関する冊子の製作――を柱とする事業を展開した。
在来作物の「三春ネギ」を栽培している。で、事業初年度の夏に2回、市の広報と、事業を受託したいわきリエゾンオフィス企業組合のインタビューを受けた。以来、毎年発行される冊子の巻頭言を頼まれ、フェスティバルにも参加している。生産者や料理人、市民らによる「いわき昔野菜保存会」も組織された。
フェスティバルでは、毎回、江頭宏昌山形大教授が講演している。先日もちょっと触れたが、あさって(2月5日)、同保存会が中央台公民館で開くフェスティバルでも講演する。いわき昔野菜を使った昼食(弁当)も出る。
私も主催者側の一人なので、フェスティバルに備えて、成果品の冊子と、平成7(1995)年3月発行の『いわき市伝統郷土食調査報告書』(いわき地域学會が市から受託して調査・編集した)=写真=をパラパラやった。
この6年間、行政・企業組合・生産者・料理人・市民が協働して成果を出した。“原発震災”を乗り越えることができたのはそのためだろう。しかし、さあ次のステージへ、という段階で市の事業が終わった。カネの切れ目が縁の切れ目にはならなかった。むしろ、市民の側に継続するためのエネルギーが生まれた。今回から市民による、自立したフェスティバルになる。
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