2017年2月20日月曜日

「風刺」と「揶揄」の違い

 いわき地域学會の第325回市民講座がおととい(2月18日)、いわき市文化センターで開かれた。講師は同会幹事でいわき市立美術館長の佐々木吉晴さん。「風刺の限界は?」と題して話した=写真。
 つい1カ月前のことだという。韓国の国会内で野党が「時局批評風刺展示会」を開いた。現職大統領を風刺した裸体画に保守派の人間が激怒し、それを破壊した。メディアは、エドゥアール・マネの裸体画「オランピア」を下敷きにした作品としか言及しなかったが、「オランピア」の着想の原点のひとつにもなったジョルジョーネの裸体画「眠れるヴィーナス」からも引用している、と佐々木さん。

「オランピア」が生まれた1863年ごろのパリ画壇の状況は――。サロンで、高級娼婦をモデルにした「オランピア」は落選したが、タイトルに女神の「ヴィーナス」の名が入った裸体画は入選した。「オランピア」そのものが、同じ裸体画でも「ヴィーナス」ならOK、という風潮への風刺だった。

「ゆるやかな共通理解として、あくまで風刺の対象は公的な部分に限定される。服の内側の生理的・個人的な部分への言及は、多くの場合、『風刺画』というカテゴリーから離れた、単なる『揶揄』とみなされる」。佐々木さんは風刺画家ドーミエその他の作品も例示し、風刺の歴史を紹介しながら、「絵画表現として自律していること」「個人攻撃になっていないこと」を風刺画のポイントに挙げた。
 
 韓国で問題になった作品は、風刺ではなくてただの揶揄でしかないという。破壊行為は許されないが、作品そのものは低劣だったのだろう。
 
 2年前、フランスのパリで風刺週刊誌本社襲撃事件がおきた。「表現の自由を守れ」という声がわきあがる一方で、「自由ならなにを描いてもいいのか」という疑問も出された。「人の批評はその人に面と向かって言える程度にとどめる」と学んだ者は、過度な風刺はもちろん、揶揄にもついていけない。「ほどらひ(ほどあい)といふことがござる」(金子光晴)と、絶えず脳内でささやく者がいる。

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