2017年2月11日土曜日

ホウレンソウ鍋30年

 さきおととい(2月8日)の話。朝日新聞をめくっていたら、生活面の「記憶の食」が目に留まった=写真。愛知のある家の「嘉次郎鍋」が紹介されていた。わが家で30年以上食べている「ホウレンソウ鍋」と同じだ。ホウレンソウ鍋は映画監督でグルメだった故山本嘉次郎が考案した。同じ「冬の味」に魅せられた人が全国各地にいる、ということだろう。
“孫”の母親が記事を読んで連絡をくれた。冬になると一家を呼んで、カレーライスではなくホウレンソウ鍋にすることがあった。一回ですぐ料理法が頭に入る。シンプルで飽きがこない。で、枝分かれするように料理が継承・伝播されて、やがてその家の冬の定番料理になる。私は敬愛するドクター(故人)から継承した。

 いわき市は昭和61(1986)年、「非核平和都市宣言」をする。市民有志が中心になって短期間に何万人もの署名を集め、市と市議会を動かした。政治運動とも市民運動とも無縁だったドクターが事務局長を引き受けた。そのときに出会い、ドクター宅で初めてホウレンソウ鍋をつついた。
 
 ドクターは、山本監督がテレビで紹介していたのを試して病みつきになったという。嘉次郎鍋の方はテレビではなく、監督が55年前の昭和37(1962)年12月1日、朝日新聞の家庭面に寄稿したレシピを継承した。

 水を張った鍋を卓上コンロにかけ、スライスしたニンニクとショウガを入れて、塩で味を調え、しょうゆを加えてほんのり色をつける。それがスープになる。豚しゃぶ用の肉と葉を一枚一枚ちぎったホウレンソウをそれで湯がいて、そのまま食べる。嘉次郎鍋はしょうゆが主体のようだ。豆腐も入れる。わが家でも最初は豆腐を入れていたが、なくても十分なので今は省略している。
 
 ホウレンソウ鍋は人数に合わせて具材を用意すればいい。晩秋、夏井川渓谷の隠居で“ミニ同級会”を開いたときにも、ホウレンソウ鍋にした。2年前(2015年)の3月12日、フランス人写真家のデルフィン、故郷のマルセイユの親友(女性)と、京都に住む日本人男女2人が来たときにも、ホウレンソウ鍋にした。
 
 東日本大震災の月命日のきょうは、わが家の近くにある「ゲストハウス」に、いわきサンシャインマラソンに出場する知人2人が泊まる。夜はホウレンソウ鍋にしようとカミサンがいう。午後には買い出しに行く。今回は豆腐も加える。「ホウレンソウ鍋 湯豆腐添え」といった感じになるといいな。

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