2017年2月19日日曜日

「ぶらっと」同窓会

 ご主人の仕事の関係で中国で暮らすTさん母娘が里帰りした。娘のHちゃんは小学4年生。いわきへ帰るたびにかつての仲間10人前後が集まる。おととい(2月17日)、その集まりがあった=写真。男は、Tさんのご主人がいるときを除いて、いつも一人。
 東日本大震災から半年後、「シャプラニール=市民による海外協力の会」が、いわき市平に交流スペース「ぶらっと」を開設した。前から関係している国際NGOなので、昨年(2016年)3月12日に閉鎖するまで、ときどき顔を出した。おととい集まった仲間は「ぶらっと」の元現地採用スタッフ、ボランティアだ。

 ピアノの先生をしている、私と同年代の女性はいわきの海辺に住む。家が少し津波被害に遭った。幹事役のフラガールは地震で家が壊れた。ほかの何人かは浪江町や双葉町、富岡町からいわきへ原発避難をした。その意味では全員が被災者・避難者でもある。

 浪江から避難しているNさんと隣り合わせになった。阿武隈高地の同郷の人間だ。「ぶらっと」開設後に会って、そのことはわかっていた。今度初めて、若いころ、私の弟夫婦と交流があったことを知った。

 いわきに住んでいる私の中学校の同級生はわずかに数人。以前は毎年、忘年会を開いていたものだが、震災後は65歳の全体同級会、仲間の葬式で顔を合わせたほかは、一度集まっただけだ。

「ぶらっと」で出会った“後輩”は、一回り以上は年が若いだろう。私の実家のこともよく知っていた。いや、それよりも同郷の人間と知り合い、深い話をするのは“奇跡”に近い。

 地震で家を壊され、原発事故で住まいを追われながらも、ほかの被災者・避難者のことを思って「ぶらっと」にかかわる。「ぶらっと」が閉鎖されたあとも、こうして“同窓会”を開く。「高校生になった娘がピアノの先生のところに通っている」なんて話を聞くと、つながりはさらに深化している。人間のネットワークにはいつも思わぬ展開が用意されている。

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