朝6時半すぎ、家の前の通りに出ると、西空に満月が浮かんでいた=写真。2月12日、いわきサンシャインマラソンの日。首都圏に住む知人2人が近所の故義伯父の家に泊まった。小名浜のアクアマリンパークがスタート・ゴールの10キロの部に出場する。シャトルバスがいわき駅前から出る。7時のバスに乗る。車で送る約束をしたので、早起きした。
東の空から朝日が昇りかけていた。「菜の花や月は東に日は西に」(与謝蕪村)の名句が思い浮かぶ。いや、蕪村が見たのとは真逆の風景だ。月は西で、日は東。夕景色ではなく朝の景色。菜の花の代わりに車の霜。放射冷却で窓ガラスが真っ白くなっていた。底冷えするなか、西の満月が「おやすみ」をいい、東の太陽が「おはよう」をいう。
年寄りなのでふだんから早起きだ。が、寒中、外へ出ることはない。早朝はせいぜい玄関を開けて新聞をとりこむか、家の前の電柱にごみネットをくくりつけるだけだ。いつもより1時間早く目を覚ました。二度寝すると約束の時間に遅刻する。で、そのまま起きて時間がきたら、満月の入りと日の出を同時に見ることができた。これも自然の運行の妙と感じ入った。
きのう(2月13日)、座業にあきて気分転換に長田弘(1939~2015年)の『最後の詩集』(みすず書房、2015年)をパラパラやっていたら、「ハッシャバイ」という詩が目に留まった。ハッシャバイには「静かに眠れ」という訳が付されていた。
最後の5行。「人生は何でできている?/二十四節気八十回と/おおよそ一千回の満月と/三万回のおやすみなさい/そうして僅かな真実で」。月の満ち欠け、つまりは太陰暦をベースにして、「人生80年」という想定で書かれた詩のようだ。
満月は19年で235回。私も800回以上は見てきた計算になる。ときには、こうして用事ができたおかげで早朝に沈む「終わりの満月」を望むことも。家に閉じ込もっていたら見逃していた自然の、人生の一瞬だ。
12日、いわき地方は晴れてカラッ風が吹いた。午後、「完走できました」という連絡が入った。なにはともあれ、いわきらしい早春の空気を体感したわけだ。今週末の18日は、二十四節気でいう「雨水(うすい)」。春がまた一歩近づく。
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