金正男氏殺害事件の裏に「草」がいた?――このところ「忍者」関係の本=写真=を読んでいるもので、つい連想がはたらいた。
アップダウンの続く山道を走るトレイルランニングの話から。普通の陸上競技の「走り」は、グラウンドのトラックで行われる。マラソンは舗装された平坦なロード。マラソンと登山を組み合わせたようなものだろうか。さらにいえば、山伏の修行にも通じるものだろうか。
もう20年ほど前、今思えばトレイルランを実践している若い登山家に会った。夏井川渓谷のわが隠居へ知り合いが連れて来た。茶飲み話をしているうちに、「対岸の山の尾根筋も走りますよ」という。「走って山を下りたら、また別の山へ駆け上がります」ともいう。山伏のような人間がいることに驚いた。以来、山を修行の場にしている人間には親近感と尊敬の念を抱いてきた。
戦国時代には、大名が連歌師や山伏を使って生き残るための情報戦を展開した。連歌師や山伏は大名たちの駒、生身のメディアでもあった。大名に召し抱えられた山伏は、道なき道を、山を、夜も昼も走って使命を果たす。あるいは諸国を巡りながら情報を収集する。忍者は山伏の親戚のようなものではないかと、このごろは思っている。
いわき市立草野心平記念文学館で企画展「忍たま乱太郎ミュージアム」が開かれている。それに合わせて、先日、「戦国時代のいわきにも忍者がいた!?――戦国大名岩城氏と忍者」と題する講演が行われた。そのときに紹介された山田雄司『忍者の歴史』(角川選書)を図書館から借りて読んだ。和歌森太郎著『山伏』(中公新書)も借りた。
講演会でも引用された伊達家関連文書が『忍者の歴史』に載る。「奥州の軍言(いくさこと)ばに、草調儀或は草を入る、或は草に臥、亦草を起す、(以下略)」。「草」は忍びのことで、自領から他嶺へ忍びを派遣することを「草調儀」(草を入る)、他嶺へ忍ばせることを「草に臥す」、敵地から外に出る人間を討ち取ることを「草を起す」と言ったとある。いわき地方でも「草」という言葉が使われた。
マレーシアの国際空港で起きた事件には、どこかの国の「草」たちが関係していたと、容易に想像ができる。どの国も裏では「戦国時代」を生きている?
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