2018年11月11日日曜日

「週刊だいどころ」とは妙

いわき市立図書館のホームページに収められている「「地域資料のページ」が11月1日、拡充された。家にいながら閲読できる明治・大正・昭和の地域新聞が、18紙から36紙に倍増した。新資料のうち東北日日新聞を真っ先に読んだ話を、先日、ブログに書いた。
 昭和4(1929)年8月、ドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」がシベリアを横断し、日本の樺太・北海道・東北を南下して、19日、霞ケ浦(土浦市)に着陸する。いわきでは、東北日日新聞が平町(現いわき市平)の東端、神谷村の上空を小名浜方面へ向かって山沿いに飛行したことを伝えている。
 
ほかに磐城調査新報・磐城立憲新報・平新聞(福總新聞)・磐城中正新聞などがある。現在唯一の地域紙いわき民報とはライバル関係にあった戦後の常磐毎日新聞も読める。2、3日、時間をつくってはこれらの新聞をスクロールして、見出しを読んだ。

そのなかから“古新聞シリーズ”9として、「週刊だいどころ」=写真=を取り上げる。題名に引かれた。

昭和30(1955)年10月8日に創刊された。題字の下に「毎週土曜日発行」、前後に「石城地方で一番発行部数が多い」「発行所 だいどころ新聞社 平市新川町」とある。第2号に発行人の名前(金子源三)が載る。婦人層を対象に、料理・子育てなど日々の暮らしに役立つ情報を提供するのが狙いだったようだ。今でいう情報紙だろう。

写真で紹介した第15号(昭和31年2月12日付)は、しかし“台所情報”と違って、「いばらの道こえて 人生勉強」を特集している。平の経済人5人を取り上げた。ひげの世界館主鈴木寅次郎に引かれた。記事後半、人生も後半のくだり――。

「大正15(1926)年秋、17年にわたる茶屋商売の足を洗い、当時経営不振の映画館“有声座”を引(き)受けた。競争相手の平館が20銭なら、こっちは10銭。型破りの興行で客足を奪い、平日夜1回限りの上映を連日昼夜2回立てに改革、林長二郎の『雪之丞変化』、松竹不朽の名作『愛染かつら』などで馬鹿当(た)りをとった」

 終戦間際に試練が待っていた。「昭和20(1945)年7月、強制疎開で館は跡かたもなく取(り)壊され、1カ月過ぎて終戦。『よし、もう一度やるぞ』。悲運のドン底から起(た)ち上(が)り、翌21年10月7日、世界館として復活した」。今のポレポレいわきにつながるいわきの映画館史の重要なトピックだろう。これだけでも「週刊だいどころ」を読んだかいがある、というものだ。

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