2012年2月28日火曜日
災害復旧作業実施中
朝7時前。車体に「災害復旧作業実施中」と書かれた大型バスが、散歩コースの国道6号・バス停付近に止まっている=写真。運転手のほかに人は乗っていない、原発事故の収束に当たっている人間を送り届けた帰りなのか、それとも迎えに行く途中なのか――ともかくも上り線に止まって時間を調整している、そんな感じだ。
下り線はいわきの北、わが中神谷からざっと40キロ先に福島第一原発がある。そこから半径20キロ圏内は飛行が禁止されていたが、土曜日(2月25日)、これが3キロ圏内に縮小された。そこで早速、テレビ局や新聞・通信社が空撮を試みた。その空撮映像から少し北の状況がわかってきた。
双葉郡、たとえば浪江町の、共同通信による空撮写真(福島民報)。がれきと化した建物、打ち上げられた漁船……。
浪江は原発事故の影響でたちまち「無人地帯」となった。それで、3・11の爪痕がそのまま残っている。3・11からちっとも時間がたっていない。変わっていない。浪江の人は、いや双葉郡の人は胸が張り裂けるような思いでテレビや新聞の空撮映像を見たことだろう。
中間貯蔵施設などを協議する政府と双葉郡内8町村長との意見交換会が中止になった。双葉町長が、報道が先行するようなやり方に政府への強い不信感を募らせ、欠席した。東京新聞によると(フエイスブックでは東京新聞が高い評価を得ている)、こんなことだったらしい。
「中間貯蔵施設建設用地を事故前の地価で取得する方針などの会議内容が事前に報道されたことを欠席理由に挙げ『先祖代々の土地に住めなくなるのは大変重い問題であり、丁寧な話し合いを求めたが、食い違いが出た。信頼関係に問題が生じた』」。なにかおかしな方向に向かいつつあるのだろうか。足並みの乱れは修正されるのだろうか。
そんなあれやこれやに気をもんだりしているうちに、もう3月を迎える。「3・11」が胸の中で点滅し始めたらしい。少し心がざわつくようになった。
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