2012年2月23日木曜日

テレビドラマ


3・11まで3週間。メディアはこの1年をどう伝えたか――。地域紙に身を置いてきた人間として、全国紙、県紙の表裏2枚、つまり1~4面と裏1~4面の8ページを、そのほかの面は必要なものを切り抜いて――というやり方で保存している。

3・11直後から1カ月間は丸ごと保存した。が、図書館ではないからたちまち場所ふさぎになる。時間の経過とともに保存する量をしぼっている。研究者ではないが、40年近くそこでメシを食ってきた人間の“習い”だ。メディアの今が絶えず気になる。ネットその他でウオッチングもしている。

業界紙に「文化通信」がある。ときどき、いわき民報のHP経由でチェックする。3・11を前に、新聞社を舞台にしたテレビドラマが二つ放送される。「文化通信」によると、こうだ。

3月4日午後7時54分~9時48分、テレビ東京系「明日をあきらめない…がれきの中の新聞社~河北新報のいちばん長い日」が、まず一つ。単行本の『河北新報のいちばん長い日』=写真=が基になっている。

もう一つが、3月6日午後9時~10時48分、日本テレビ系列「3・11その日、石巻で何が起きたのか~6枚の壁新聞」。石巻日日新聞社は停電と浸水で新聞の編集も、印刷もできなくなった。それを手書きの号外に切り替え、「壁新聞」として避難所などに掲示した。地元密着の地域紙として、ともかく新聞発行を続けた。

阪神・淡路大震災から15年の平成22(2010)年1月17日前夜、フジテレビ系列でドラマ「神戸新聞の7日間」が放送された。そのことを思い出した(2010年1月24日付小欄参照)。放送5日前にはハイチ地震が発生した。

新聞社がテレビドラマになる。結構なことだ。が、メディア自身は自分たちの「この1年」をどう総括するのだろう。原発事故が起きたら、記者がいなくなった――福島県・浜通りの大地震・大津波被害はそれでさっぱり報道されなかった、という批判にどうこたえるのだろう。知り合いの元全国紙記者が小さな講演会で痛烈にメディアを批判した。

彼に言われて、3・11にともなう自社の取り組みを自賛する全国紙の社長あいさつをネットで読んだ。末端、いや読者のそばにいるということでは最先端の販売店だが、社長がいうほど機能したか。3・12にわが家に配達されたのは、事前に販売店に届いていた2種類の土曜版だけ。そのあと、しばらく不配が続いた。違和感が残る。

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