東洋大学国際地域学科の子島(ねじま)進教授から、ゼミの学生が書いた「私たちの3・11」と題する、ホッチキス止めの震災体験記をいただいた。
学生たちは3・11当時、高校1年生だった。沖縄出身の1人、出身地不明の1人を除いて、17人のすまいと高校は東京を中心とした関東圏だ。学校で授業中、部活中、下校途中、帰宅後に大地震に見舞われた。
津波・原発事故による避難を経験せずにすんだのは僥倖(ぎょうこう)というべきだが、人口が密集した首都圏ゆえの困難がつづられている。
本人あるいは家族が帰宅できない状況が起きた。電車はすべて止まった。バスは動いていても、バス停には長蛇の列ができた。タクシーも、マイカーも渋滞に巻き込まれた。
マンションの上層階では揺れが増幅された。リビングのテレビが壊れ、食器棚から食器がなだれ落ちて割れた。3人がかりでないと動かないアップライトピアノが壁際からリビングの中央に移動した。これは震度6弱だったいわきの戸建て住宅と同じ現象だ。「上層階の深度は地上より一段階上がるということでした」と学生は書く。
これとは別に、私の手元にいわきの大学生がつづった3・11体験記がある。いわき市を中心に福島県内、茨城県内などで地震・津波・原発事故に遭遇した。震源と原発に近いところほど、体験は深刻なものになる。同級生が津波で亡くなった、原発避難を強いられた、避難所でのボランティア活動に加わった――被害の軽重はあっても、個々の3・11体験記はそれだけで貴重な資料だ。
子島ゼミでは2012年6月初め、東日本大震災と原発事故の実態を英語で発信するため、いわきへ現地調査にやって来た=写真。久之浜から平薄磯・豊間と海岸線を南下しながら、津波被災地の様子を見た。その過程で、いわき市海岸保全を考える会が2011年秋に発行した被災体験集『HOPE2』に出合った。学生が継続して英訳を進め、間もなく100人に達するという。
学生たちは12月20日にいわきを訪問し、生涯学習プラザで開かれた交流スペース「ぶらっと」のクリスマス会の準備・片づけを手伝った。翌日はバスで原発避難を余儀なくされている双葉郡富岡町を見学した。若者が「現地」を見る意義は大きい。
1 件のコメント:
未来を担う若者がまず現地を見て真剣に考えて一歩ずつでも歩んでもらいたいものです
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