「日本古書通信」=写真=2015年6月号に、いわき地域学會相談役で前いわき市文化財保護審議会長の小野一雄さんが「『平読書クラブ』と私――永山美明さんを偲んで」と題する追悼文を寄せた。その前の5月号には、同誌編集部の折付桂子さんが「ふたつの震災と古書業界」と題して、神戸と東北の古書店の様子を伝えている。そのルポにも「平読書クラブ」の“今”が載る。
まずは、小野さんの追悼文から――。小野さんが初めて永山さんの経営する古本屋「平読書クラブ」の敷居をまたいだのは、小名浜の中学校を卒業して、平の磐城高校へ通うようになってすぐの昭和36(1961)年春だ。私が同じように店に顔を出すようになったのは同41年、阿武隈の山里から夏井川を下って平高専(現福島高専)に入ってから3年目、18歳のころだった。
小野さんはだんだんと「地元磐城」にかかわる出版物や古い資料などに目を向けるようになる。オヤジさんがそれに気づいたあとの、2人の交流が記される。当時、文学にしか興味のなかった私と違って、オヤジさんは小野さんと“真剣勝負”のやりとりをしていた。
「資料は死蔵していてはダメ。それを基に小文でもいいから書いて発表しておきなさい。そうしないと、苦労して集めても単なる収集家、骨董趣味と同じで、研究者とは言えないから」「君が書いた文章を読んで関心を持ち、あとに続く人たちが現れることも期待されるのだから」
私はやがて3軒隣の地域新聞社に勤め、午後2時すぎの昼休みに、息抜きを兼ねて雑談に立ち寄るだけの関係にとどまった。(永山さんはやがて別の場所にビルを建てて店を移転した)
折付さんは震災から1年後の平成24(2012)年3月、いわきの若い古本屋に伴われてわが家へやって来た。以来、震災ルポのたびに同誌の恵贈にあずかる。今回のルポでは宮城、福島の古書業界の現状を紹介している。浜通りの厳しい現実を肌で感じるため、仙台~名取~いわきとJR常磐線と代行バスを利用して国道6号を南下した。
そのルポに、オヤジさんが亡くなったあと、ネット販売で「平読書クラブ」を継続している奥さんの談話が載る。
「引揚者同士、鍋釜も揃わない結婚で紙屑屋の女房と言われたこともありましたが、ずっと一緒に仕事をしていていろんな本をいっぱい見て、普通の女性では味わえない楽しみが沢山ありました。(略)主人のようには無理ですが、思いだけは継いでゆきたい」
実は、折付さんから先週末に5、6月号が届き、小野さんからもきのう(6月16日)、6月号が届いた。同じ日、街へ用事があった帰りに車で平読書クラブの前を通ったら、奥の自宅から通りへと奥さんが出てくるところだった。お元気そうだった。
ついでながら、新聞や雑誌の面白いところは、思わぬ“発見”があることだ。今度の「日本古書通信」では、5月号から連載の始まった「幻の詩誌『南方詩人』目次細目」に目が止まった。いわきの猪狩満直や草野心平が出てくる。あしたは、その満直にからんだ話を――。
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