6月22日は夏至だった。やがて真夏にはマニラ並みの暑さになる。同時に、昼の時間が日を追って短くなる。冬至が「一陽来復」なら、夏至は「一陰来復」だ。
庭のプラムの木にあおい実がいっぱい生(な)った。今年も摘果を忘れた。10日ほど前、誕生日プレゼントを口実に孫を呼び寄せ、庭で少し遊んだとき、下の子が赤くなったプラムの実を見つけた。それで「生り年」だとわかった。東日本大震災の前だったら、喜んで赤い実を食べさせた。今はジイ・バアしか食べない。
夏井川渓谷の隠居にも果樹がある。プラムの仲間のプルーンの木が3本。こちらはなぜかいっこうに実をつけない。高田梅の木は2本あったが、全面除染のときに、倒伏してかろうじて生き残っていた1本が除去された。カリカリの梅漬け、あるいは梅ジャムをつくるときには5月末~6月上旬にあおい実を摘む。3・11後はこれもおざなりになった。
今年もタイミングを逃したら、黄色く熟しはじめた。夏至の前日、日曜日(6月21日)。三春ネギを定植する合間に梅もぎりをした。思ったより数が少なかった。その場でかじると、酸味のなかにほんのり甘みが感じられた。
10年以上前のことだが、隠居の風呂場の前のカリンの木の根元にフサスグリの苗木を植えた。毎年、夏至のころ、赤く小さな実をつける=写真。こちらも手でこそげとって食べた。甘かった。
先日、フェイスブックにフランス料理の萩春朋シェフがグーズベリー(グズベリー)の写真をアップしていた。阿武隈の山里で暮らしていた子どものころ、近所の店にそのあおい実が売られていた。それ、ではないか。「イッサ」といった。酸っぱかった。母親の実家の家の庭にもイッサがあった。木にはトゲがあったのを覚えている。
イッサは、西洋ではグーズベリー(グズベリー)というのか。フサスグリに比べると粒が大きい。梅干しと同じで、イッサのあおい実を思い出すだけで、あごのあたりから唾液がしみだす。イッサは、ほんとうはなに? 夏至のころになると決まって浮上する疑問がやっと解けた。
高田梅は、ジャムにするほどの量はない。生食するにしても、ただガブリとやっただけでは酸味がきつい。すりおろし、あるいは細かく刻んでサラダに加え、ドレッシングとの相性をみた。同じように、スライスしたものをマヨネーズにつけたり、ヨーグルトにからめたりした。ヨーグルトが酸味をほどよく包んでくれるようだ。
ほんとうはフサスグリも、高田梅も、プラムも孫に食べさせたい。甘い・酸っぱい、を体で感じさせたい。未来を生きる子どもの記憶を豊かなものにしたい――と念じているのだが……。もどかしい。
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