元の職場から電話がかかってきて、「Kさんという人が会いたがっている」という。
前にも同じ内容の電話が入った。Kさんと連絡をとって会うことにしたが、タイミングが合わない。で、ズルズル半年?近くたってしまった。それもあって、すぐケータイで連絡をとり、1時間以内に会うことにした。「あげたいものがある」ということだった。
Kさんは私より2歳くらい若い。15年ほど前、病に倒れて左半身が不自由になった。が、リハビリをがんばったのだろう。待ち合わせの場所に車を運転し、右手で杖を使い、ひとりで歩いてやって来た。言語も明瞭だ。
Kさんとは、市役所が企画したまちづくり関係の会議か、同じような市民レベルの会議で出会ったように記憶する。どちらにしても40代、二十数年前のことだ。以来、たまに顔を合わせるようなことはあったが、この十数年は縁もなく過ぎた。
震災後、経験と管理能力を買われて、週に何日か双葉郡内の事業所へ通って仕事をしている。その話は前に電話で聞いた。
「あげたいもの」とは、「じゃんがら念仏踊り」=写真=の歌を基調にした創作曲のCDだった。彼自身、青年会で「じゃんがら」をやってきた。「じゃんがら魂」が全身にゆきわたっている。そこから生まれた曲だという。
若いときから日本画を手がけてきたという。初耳だ。俳句も始めたという。やわらかな感性が「じゃんがら」由来の曲をつくったのだろう。
父親が俳人だった。今は90歳を超えて実作を休んでいる。俳号を聞いて思い出した。職業人としても俳人としてもお会いしたことがある。俳句のある家庭環境のなかで育った。本人は日本画に情熱を注ぎ、病に倒れたあとはふと俳句に興味を持って句作を始めたそうだ。
今の彼の活力源は句作。短詩形文学がリハビリにも、ハンディをもった生き方にもプラスに作用している。表現意欲が生きる力に結びついている。率直にそのことを伝えたら、自作の句「一ひらの散る風もなき桜かな」をナプキンに書いてよこした。「これはもうあなたの代表句になるね」といったら、うなずいた。CDはこれからゆっくり聴く。
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