「第一原発3号機/20トン大型がれき撤去/プール内 燃料取り出しへ前進」。きのう(8月3日)の福島民報は、福島第一原発3号機の使用済み核燃料プールに落下した「燃料取扱機」(全国紙は「燃料交換機」)の撤去が無事に済んだことを、1面トップで伝えた。
全国紙はどうか、朝日は社会面ベタ記事「福島第一3号機/巨大がれきを撤去/核燃料取り出しへ一歩」。読売は4段見出し「福島第一
20トンがれき撤去/燃料取り出しへ前進」で、2面の肩だった。
自宅で取っている朝の新聞を比較しただけの話――で、東京に本社のある全国紙については、「やっぱりな」と思った。原発事故の後片付け作業は5年目に入った今も終わらない。しかし、東京への影響がないとわかった時点(これは私の推測)で、全国紙は原発事故についての記事の質量が落ちた。今は東日本大震災・原発事故の記事が1面トップになるようなことはまずない。
3・11からずっと、福島民報と朝日の1面トップ記事を見てきた。大震災が起こり、原発事故が発生した。すると、たちまち紙面は原発事故にシフトした。朝日もまた、震災・原発事故関連の記事が1面トップになる、という状況がしばらく続いた。
両紙の1面を保存し、月ごとにまとめていたが、先月(7月)でやめた。民報は3・11以来、震災復興・原発事故関連を1面トップに据えた紙面づくりを続けている。が、朝日は、1面トップはほぼゼロ。3年間は統計を取る意味もあったように思うが、4年がたち、5年目に入って保存する意味を見いだせなくなった。
スタート当初は画期的だった朝日の「プロメテウスの罠」も、このごろは息切れしているのでは、と感じるようになった。原発事故の影響を、NHKの朝ドラ仕立てで追ってきたはずだが、前回の「チョウを追う」は<あれ、これで終わり?>という中途半端なものだった。いったい、何を言いたかったのだろう。
阿武隈高地で生まれ育ち、事故を起こした原発のある双葉郡の南隣で暮らす人間には、放射能による自然界の異変が気になるところ。これまでにもネットで研究者の論文などを拾い集めてきたので、「チョウを追う」からも、何か新しい知見が得られるのではないかと、毎日、切り抜きをしながら読んだ=写真。
が、後半は調査に協力した「人間のドラマ」になってしまった。知りたいのは「自然界のドラマ」(異変の程度・有無)だ。ネットで知り得た情報の、その後の展開、より深い知見だ。期待が過剰だったか。
いわき市の人間は、事故を起こした原発とは地続き、という「当事者意識」を持って暮らしている。大型がれき撤去にホッとし、「チョウを追う」にがっかりしたのも、記事を暮らしの中に生かしたいという思いがあるから。――以上、このごろの新聞についての、雑な感想でした。
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