2015年8月7日金曜日

「きのこ雲の下で何が……」

 きのう(8月6日)のNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」は、見ごたえがあった。広島に原爆が落とされた直後、地元・中国新聞社のカメラマンが写真を撮った。その1枚から、医師の知見や写真の中で生き残った被爆者の証言をもとに、最新のコンピューター技術で映像を立体化した。
 身元を特定することができた1人に、当時、広島高専(現広島大工学部)の学生だった坪井直さん(広島県原爆被害者団体協議会理事長)がいる。もう1人、中学生だった女性も、写真に写っている人々の様子を証言した。

 写真の部分、部分に焦点を合わせ、立体化した映像が映し出される。そのひとつ、路上に横たわる人々の映像=写真=に、いわきの画家、故松田松雄(1937~2001年)の作品が重なった。横たわる被爆者に黒いマントを着せたら松田の絵になる。
 
 松田は今から36年前の昭和54(1979)年、夕刊いわき民報に週1回・1年間、「四角との対話」を連載し、画家としての内面の軌跡を吐露した。その切り抜きが先日、ひょっこり出てきた。松田が新聞社に出稿する前、担当ではなかったが、個人的に彼と対話しながら原稿の「事前校正」をした。
 
 その3年後、松田はいわき市文化センターで個展「黒と白の黙示劇1976―1981」を開く。頼まれて、図録に文章を書いた。「風景(家族)」「風景(民)」シリーズに引かれた。NHKスペシャルの映像から、「風景(民)」の作品が思い浮かんだのだった。
 
 図録の中で、私は「作品は変貌しても生と死の黙示劇的構造に変わりはない」「人間の悲しい闇の部分を提示しながらも、そこに祈りのような聖性が漂っている」「人間を見据えた作業を継続していく限り、彼の黙示劇は見る者をしてこれからも深い悲しみと祈りの地平に立たせ続けることであろう」と記した。
 
 折しも娘の文さんから連絡があった。「四角との対話」をオンデマンドで出版することにしたという。切り抜きを読み返し、松田に代わって「36年後のあとがき」を書いた。
 
 松田は、東日本大震災で壊滅的な被害に遭った岩手・陸前高田市の出身だ。その年、いわきで予定されていた「没後10年展」が、震災で1年延期された。「没後11年展」は、私には震災犠牲者への供養を兼ねたもののようにも思われた。
 
 うつむいて静けさをたたえる家族、横たわる民……。松田の作品に内包されている「深い悲しみと祈り」が、3・11を経験してより深く大きなものになっているように感じられた。
 
 そして、ゆうべ。被爆70年の節目の日に再現された「きのこ雲」の下の惨状に、松田の「風景(家族)」「風景(民)」の作品群が重なり合い、響き合って、鎮魂の思いが強くわきあがってきたのだった。

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