同級生からあずかった「鉦(かね)」=写真=を、「じゃんがら念仏踊り」に詳しい仲間に見せたら、開口一番「大きい」。「『親鉦(おやがね)』といって、じゃんがら念仏踊りのリーダー役がほかより大きい鉦を持つときがある」という。
「じゃんがら」ではなく、寺で使われていた可能性もある。ひとつは「伏鉦(ふせがね)」。凸面を上にして、たたく。凹面のつばには、脚が3つ付いている。その脚はない。脚があった形跡もない。
つばまでの外径は14センチ、重さは1キロ強。前にも書いたが、「じゃんがら」の場合、右わき下から肩越しに、ひもで、鉦をつるした“ハンガー”を支え、左手で鉦の下部をつかんで「チャンカ、チャンカ」とやる。鉦の下部をつかむのは鉦がぶらぶらするのを防ぐため、というのは門外漢にもわかる。
つばの部分に「宝永戊子(つちのえね)十一月吉日 ニイタ 西山」と彫られてある。それを見た瞬間、「宝永戊子
十一月吉日」と「ニイタ 西山」は字が違う、と仲間がいう。「『宝永戊子 十一月吉日』は製作年月日で、『ニイタ 西山』はあとから付け加えられたのではないか」。見ると、確かに「宝永戊子
十一月吉日」の字は大きく深く、「ニイタ 西山」の字は小さく浅い。
宝永5(1708)年につくられた鉦を、後年、四倉・仁井田の西山家が入手した(と推定される)。それは江戸時代かもしれないし、明治時代になってからかもしれない。
鉦をめぐる話は以上だが、いわきは「じゃんがら念仏踊り」の歴史と伝統の厚みがあるところ。「じゃんがら」にまつわるこうした物語のかけらは広い市域にいくらでも落ちているのではないか。『じゃんがら拾遺物語』なんて編めそうだ。
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