月遅れ盆の休みが終わり、日常の暮らしが戻ったきのう、8月17日。小雨の降る早朝、家の前のごみ集積所にカラス除けのネットを張ったら、あとは自分の時間だ。今週の土曜日(8月22日)、いわき地域学會の市民講座が開かれる。「昭和20年8月15日のラジオと新聞」と題して話す。レジュメを仕上げないといけない。それに集中した。
レジュメのかたちがあらかたできあがったころ、カミサンが「田人にオープンした西洋アンティークの店に行きたい」という。先日、新聞に情報紙(フリーペーパー)が折り込まれた。それに載っていた。田人の国道289号沿いにある。遅れてやってきたお盆休みと思い、気分転換を兼ねて「高速」で出かけた。
常磐道のいわき中央ICから勿来ICまでおよそ15分、勿来ICからその店までおよそ15分。「高速」では大型車の後ろになった。すさまじいほど水しぶきをまき散らして疾走する=写真。雨の高速道は初めてだ。怖い。多少は緊張しながら走っていると、次から次に追い越し車線を車が飛ばしていく。「負けん気」は事故の元と言い聞かせながら、法定速度で走った。
店の駐車場に着くと、母屋から店主が現れた。「アッシー君」としては、頭をニュートラルにして、カミサンと若い店主とのやりとりを聞いているしかない。店主は、奥さんが北茨城市平潟の骨董屋(行ったことがある)の娘であること、子どもが生まれたので田人に移住し、今年5月に開業したこと、美容師からの転身であること、などを語った。
ひとつの敷地内に母屋と店がある。若者がなぜ山里暮らしを志向するのか、という問いへの答え、実例でもある。ここで私も話に加わった。物件を探していたら空き家があった。うまく借りることができたという。私自身、週末は山里(夏井川渓谷)の隠居で過ごすので、そのへんの動向には興味がある。
店は、母屋の前にあった馬小屋を利用した。いや、その小屋の梁(はり)などを再利用したというべきか。地震でガタガタになった。いわき市南部の田人だから、3・11よりは1カ月後の巨大余震、田人を震源とする直下型地震でやられたのだろう。店名「スティブル」は英語の「馬小屋」に由来する。
母屋の廊下に1歳くらいの子どもが立っていた。手を振ってもじっとしている。それはそうだ。この子はやがて幼・保どちらかの施設に通い、やがて小学校に入学する。親が送迎するか、スクールバスの世話になるか。教育には頭を悩ませることだろう。
集落の一角に小学校の分校があった。「増田レポート」に反発する人間としては、山里に活力を与える若い世代のために、子育て支援のために、行政は我慢して分校を残すべきだった――現実には難しい「選択」であっても、財政効率だけで考えてはいけないものがある。あらためてそんなことを思った。
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