2015年10月1日木曜日

ポカラといわき

 きのう(9月30日)の続き。シャプラニール=市民による海外協力の会の全国キャラバン「フェアトレードが変えるネパールの女性たちの暮らし」がおととい、いわき市で開かれた。
 終わって、報告者のラム・カリ・カドカさん(60)=写真=とシャプラのスタッフ、私ら夫婦の5人で会食した。女子会に男が一人まぎれこんだ感じだった。
 
 ラム・カリさんは、ネパールのフェアトレードのパイオニア。報告会では、ネパール語で話した。JICA(ジャイカ)二本松海外青年協力隊訓練所のネパール人講師が通訳を引き受けた。通訳氏はとんぼ返りだったので、食事会では、私以外は英語でやりとりした。
 
 飲み食いした店は、池波正太郎の「鬼平犯科帳」に出てくるような「入れ込み」(オープンな座敷)。火曜日の夜だというのに、あっという間に人で埋まった。
 
 ラム・カリさんは仏教徒。信仰の深浅はあるが、われわれもそうだ。牛肉と冷たい飲み物(たとえばビール)はダメ、それ以外は大丈夫だという。
 
 刺し身には醤油とわさび、鍋物にはポン酢。もみじおろしもでてきた。シャプラのスタッフが座卓に備え付けてある七味、つまり七色唐辛子を指さして、「セブンスパイス」とラム・カリさんに教えながら、自分でそれはないかと笑った。おにぎりは「ライスボウル」。なぜだか日本のアメリカンフットボールを思い出した。

 それはそれとして、ラム・カリさんは少しぎこちないながらも箸を使って焼きおにぎりや刺し身、揚げ物を食べた。わさびは敬遠した。
 
 会食をすませたあとは、私の車(もちろん代行運転)でわが家の近くにあるゲストハウス(カミサンの故伯父の家)に案内した。
 
 報告会・会食・民泊とつながったからには、ラム・カリさんの世界をもっと知りたい、報告会で聞いたことを胸に刻みたい、という思いが募った。それで、ネットで検索すると、通訳された言葉に肉付けできるものがいろいろあった。

「大地震後、ポカラの観光客が減ってビジネスが成り立たない。被災者がポカラに避難してきたので、その支援もしている」(ラム・カリさん)

 ラム・カリさんの生まれ故郷で活動拠点でもあるポカラは、首都カトマンズに次ぐネパール第二の都市だ。北にアンナプルナ山がそびえる。ヒマラヤトレッキングの観光拠点でもある。
 
 4月25日の大地震は、カトマンズとポカラの中間、ゴルカで発生した。ポカラの被害はさほどでもなかった。が、被災者がポカラへ避難してきた。トレッキング客は激減した。その影響でラム・カリさんが代表を務めるNGO「WSDO」の売り上げが落ちた。なにやら原発震災後のいわきと似ていなくもない。

 シャプラが目指すものは〈南アジアの人々が直面する課題を「遠い」ものではなく、自分たちの課題として受けとめ、同じ地球に生きる、ひとり一人の「身近」な取り組みによって世界を変えるきっかけ〉(パンフレットから)づくりだ。遠いポカラがラム・カリさんを介していわきと重なるほど近くに感じられた。

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